『稲の旋律』ができるまで(下)青年部第10回総会講演 作家 旭爪(ひのつめ)あかねさん
バイト先にいくのは苦しくなっていたのですが、田んぼに通うのは楽しかったのです。楽しい農作業のなかで対人緊張もだんだんほぐれてきました。これなら大丈夫だと思って、気を取り直して東京にアパートを借り、就職したのですが、やっぱりまた対人緊張が出てしまいました。こんどは正真正銘の「ひきこもり」状態になり、胸が苦しくなり、途中まで職場にいくのですが、戻ってきてしまうのです。上司が迎えに来て、引きずられるように職場まで連れて行かれるんですが、途中で逃げたりして、とうとう休職し、退職することになりました。 その休職中に書いた小説が「冷たい夏」です。一九九三年の冷夏で米不足になった水田地帯を舞台にした小説です。今、思うとつたない恥ずかしいものですが、これを売り物の雑誌に初めて掲載してもらうことができ、それからますます真剣に小説を書くようになりました。九七年のことです。
育てることが優しい心を生む職場にいけず、家にこもって小説を書いていると、ある日、知り合いの編集者から電話がかかってきて「茨城県の酪農家のことをルポに書きませんか」と言われました。それが、みなさんもご存知だと思うんですが、北嶋誠さんのことでした。北嶋さんは茨城県西農民センターの会長さんで酪農家で百姓フォークバンド「ヒューマン・ファーマーズ」のリーダーです。九八年、集会の後のコンサートでくも膜下出血で倒れて失明されました。 最初は半年くらいで本にしたいという企画だったにもかかわらず、もう五年目に入っています。茨城県連のみなさんが親切に協力してくれますし、ヒューマン・ファーマーズの方は、書けなくて追い詰められていた私をコンサートに誘ってくれたりしました。本当は本を出版してみなさんを激励しなければならないのに、私の方がみなさんに励まされています。 のんびり、おおらかに見守ってくれる人たちのなかで、迷惑をかけながらも、だんだん他人を怖がらなくなり、すぐには結果が出せなくても、最後まで頑張ってみようという考え方ができるようになった気がします。 ちょっと考え方が飛躍しているかも知れませんが、農業に携わる方は気が長いというか、相手のペースに合わせ、あるいは相手のやり方にまかせて、黙って行く末を見守ってくれます。この姿勢は、都会の人たちとはどこか違っている気がしますし、筋金入りのようなものがあるなと思います。 学生時代、教育心理学の先生が普段、身近に生き物と接している人は心の持ち方や動かし方が違うといっていたことを思い出しました。それは見守るとか、その人にまかせて型にはめないという、現代社会のなかでは忘れられがちなことだという気がします。そういう姿勢が「育てる」という日常から生みだされているのではないかと感じています。それが今回の小説のヒントになりました。 農業に携わって暮らす人物とか、主人公が農業体験から得たものを描くことを通して、現代の私たちが失いつつある何かを照らし出すことができるのではないかと考え、昔、稲の美しさを言葉にしたいと思ったことを今度こそやってみたいと思ってタイトルを『稲の旋律』にしました。
農村は精神的な“充電装置”私がこれまでに出遭った農家の方はとても魅力的で、賢く、主義、主張を持っており、会うたびに「大変だけど、日本の農業はこれから面白いんじゃないかな」と感じています。農村や農家の人たちは、食べ物を供給するだけでなく、精神的な意味でもさまざまな人たちの“充電装置”になっていると思います。だから元気で仕事を続けていってほしいのです。それは農家の方のためということだけでなく、充電されている都会に住む私たちのためにも、ものすごく必要なことなので、私もできることをしてみなさんと力を合わせていけたらと思っています。
(新聞「農民」2002.4.29・5.6付)
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[2002年5月]
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