「農民」記事データベース20020506-537-02

雪印食品

工場存続もとめ決起集会

「創業者魂」受け継ぐ労組支援を


 四月いっぱいで解散する雪印食品(株)。その関東工場(埼玉県春日部市)で、三月三十日、一方的な会社解散と労働者の解雇に反対する「食の安全を守り、雇用と地域経済を守る決起集会」が開かれました。夕やみ迫る工場内で、約三百人の参加者を前に、雪印食品一般労働組合の佐々木典昭委員長は「会社は解散するが私たちはネバーギブアップを合言葉にたたかっていく」と表明し、大きな拍手に包まれました。

 雪印食品には子会社を含めて約二千三百人が働いていましたが、解散にともなって全員解雇。会社は、再就職を支援する社内組織を設置していますが、転職先が内定しているのは、ほんの一握りです。そうしたなかで、三枝安茂・春日部市長は親会社の雪印乳業に対して工場存続への最大限の努力を要請しています。

 集会では、「工場の存続を求める埼玉県民会議」を結成。生産者、消費者の信頼のネットワークを作り、工場の存続を県・市町村、雪印乳業に働きかけていくことを決めました。

 雪印食品関東工場は、百年前に、足尾鉱毒の根絶と被害救済を求める栃木、群馬、埼玉の数千人におよぶ農民が、国会をめざして歩いた日光街道沿いにあります。この「押し出し」といわれる民衆の行動と、田中正造が国会で追及し、天皇直訴におよんだことで、足尾鉱毒事件は大社会問題になりました。そして雪印乳業の創業者、黒澤酉蔵もこのたたかいの協力者でした。

 正造の意向で北海道に渡り、酪農を始めた黒澤が仲間とともに作った協同組合が、雪印の前身です。そのとき黒澤は、「健土健民」(健やかな土地には、健やかな民族がいるという意味)をスローガンに掲げました。

 ところが雪印乳業・食品とも、この精神を忘れて、高度経済成長のもとで安全性よりも利潤を追求するようになり、その結果引き起こされたのが解散の引き金になった食肉偽装事件であり、一昨年の集団食中毒事件です。

 また会社は、もうけ主義の経営に異を唱える労働者を敵視し、賃金で差別してきました。この攻撃にさらされ、それでも節を曲げずにたたかってきたのが、雪印食品一般労組の人たちです。

 工場存続のたたかいは一民間企業の解散・再生のとりくみにとどまらず、日本の食糧と人権を守る社会進歩のたたかいでもあります。全国の仲間の支援をお願いします。

(埼玉農民連 松本慎一)

(新聞「農民」2002.4.29・5.6付)
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2002年5月

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