農の考古学(6)稲作の歴史をたどる
稲作の起源地はどこか稲作は、どこで始まったのでしょうか。中国南西部の雲南地方からインドのアッサム地方にかけた地域で稲作が始まったとする「アッサム・雲南起源説」を渡部忠世氏(京大元教授)が発表したのは一九七七年でした。渡部氏は、アジアの稲作圏の古代の煉瓦に含まれた籾殻を採取。時代・地域・品種別に分類し、稲の品種の流れをたどり、アッサム・雲南地方が栽培稲の起源地だとしたのです。この地域は、中尾佐助氏らが主張していた照葉樹林文化の地域である東亜半月弧と重なるものでした。 渡部氏の仮説は大きな反響を呼び、その後、長く「定説」とされます。 一方、考古学分野では「アッサム・雲南起源説」と異なる発掘事例が出ていました。長江下流域の浙江省・河姆渡遺跡では、一九七三年に大量の籾殻や米、農耕具などが見つかりますが、炭素14年代測定法で紀元前五〇〇〇年ころの遺跡と判明します。 しかし、中国の考古学界は、文化大革命で大きな打撃をうけ、河姆渡遺跡の発掘内容が広く知られるようになったのは八六年になってからでした。九〇年代に入ると、江蘇省蘇州市の草鞋山(そうあいざん)遺跡から約六千年前の水田遺構が検出されます。いまでは長江中・下流域を稲作起源地とする説が有力です。 遺伝学から稲作の起源・伝播を追究してきた静岡大学農学部の佐藤洋一郎助教授は、長江中・下流域が稲作起源地とする説をいち早く支持し、DNA分析で河姆渡遺跡の稲には野生種と栽培種があることを解明。ジャポニカ種の稲が長江中・下流域で生まれたという「長江・ジャポニカ説」を発表します。この説もほぼ確定的といいます。 渡部氏と佐藤氏は師弟関係にありますが、佐藤氏は「籾殻を使う方法で生物学に時間軸を設定した渡部先生の功績はきわめて大きい。渡部先生は、いまもわが師です」と語ります。 (つづく)
(新聞「農民」2002.4.22付)
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[2002年4月]
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