『元始、女性は太陽だった』――連続講談「平塚らいてう伝」の宝井琴桜さんいま女流講談師・宝井琴桜(きんおう)さんが“売れ”ています。『元始、女性は太陽だった』で有名な平塚らいてうの生涯を語った「平塚らいてう伝」(全十九話)、大正七年の米騒動を描いた「おかか衆声合わせ」、最近の男女共同参画社会基本法をテーマにした「山下さんちの物語」などなど女性を主人公にした新作講談が好評です。
たくましく生きる女性たちを語る喜び…平塚らいてうは日本の女性史に名前を残した人ですし、その生涯を講談で語るなんて、ご本人に対して良かったのかな、という思いはあります。でも講談という大衆演芸によって、らいてうを知らなかった方にも、どういう生き方をした人だったのかを楽しく聴いてもらうのは、それなりの意義があるのではと思っています。
らいてうの生き方に共鳴私が、らいてうに共鳴したのは、たくましい行動力です。明治の“良妻賢母”のガチガチな鋳型にはめ込まれた時代に、新しい女性の生き方を主張し、行動を起こしていきます。夏目漱石の弟子で妻子がいた森田草平との恋愛事件を起こし、世の非難を浴びて、後は歴史の片隅でひっそり生きるしかないような立場に追い込まれているのに、三年後に青鞜社を作り雑誌『青鞜』を出します。 「新しい女」ということで非難されてもそれをはねのけ、今度は「若い燕」と言われる男性と事実婚をして玄関に表札を二つ並べたりと、「エッ」と思うような大胆な行動を起こしてきました。 それだけではありません。晩年、亡くなるまで平和運動のデモに加わったり、精力的に著述活動を続けていきます。生まれつき声が出にくいという体のため、市川房枝さんのように集団の先頭に立って演説することはありませんでしたが、八十五歳の最後まで行動力を失わなかったということは、すごいと思います。 私自身、なんで、こんな大作に挑んだのか。時代背景も語りにくいし、らいてうが偉すぎて私みたいな凡人にはついていけないところもある。でもコツコツやる以外にないと、一作、一作続けているうちに六年半、十九作になったわけです。
落語好きから講談へ私が生まれ育ったのは秋田県横手市で、中学の頃から落語が好きで、ミュージカルの台本を書いて主役と演出をしたり、友達と漫才をやったりと、かなりの“目立ちがり屋”でした。高卒後すぐ東京の大手の電機メーカーに就職しました。東京では寮生活で、実家への仕送りはなし、土日が休みでした。たまたま新聞で「素人の演芸同好サークル」を見つけ、老人ホーム訪問などをしていました。 講師が講談の田辺一鶴先生だったんですが「女の子がいくら頑張っても落語は難しすぎる。講談のほうが話芸としての幅があるし、テーマも広い。いままで大成した女はいないけど、プロの講談師になる気はないか」と、うまいこと言われましてね(笑い)。「誰もやっていなくて、自分の好きな話芸でやっていけるなら面白そうだ」というんで、一鶴先生の弟子にしてもらったんです。十九歳の時でした。
結婚は「同業者」と…私は女子高時代から「女らしく」ということに、ものすごく反発していました。手先は不器用だし、細かいことは大嫌い、ウジウジするのも嫌い。だから友達に「私、絶対結婚しない」と宣言してたんですが、先輩だった琴梅(きんばい)と職場で恋愛して「同業者だったら、ずっと好きな講談ができる」と思って結婚したんです。いざ結婚となって琴梅の師匠、先代の宝井馬琴先生のところへ相談にいきましたら「君達が夫婦になるんなら、私が一緒に面倒見るよ」と言って下さって、一鶴先生のところから馬琴先生の内弟子に入り、修業することになりました。
本当は「外助の功」なんですそもそも講談というのは、男の講談師が「男の社会」を語り継いできたものです。「山内一豊の妻」などもありますが、男の視点から描いた「内助の功」物語ですね。本当は「外助の功」というか、夫婦関係が良かったから、あの戦国時代を乗り越えられたわけです。今、NHKで放映している『利家とまつ』もそうです。まつさんは「内助の功」ではなく、利家と二人で自分たちの“家”を作るために頑張っている。“家”を守るために「人質」にまでなっているんですから。でも、新作講談をといっても作家がいませんから、自分で作るしかない。そこで取材から始めたらこれが面白い。『おかか衆声合わせ』では金沢の卯辰山に登ったら、「ここから女性たちがシュプレヒコールしたんだ」と分かったり、いろんな人との出会いがあって楽しかった。そして自分で作った話を演じるのは、古典をやるよりも熱が入ります。
最近は農家の女性テーマに農家に嫁が来ないと言われていますが、鳥取県の大栄町というスイカ産地で、農家の青年が小豆島の娘さんと結婚したという話を聞きました。「どうして?」って彼女に聞きましたら「デートのたびに彼は目を輝かせて、スイカ作りの夢を語り、人生を語った」というんですね。そして彼女は「彼の夢に自分の夢を重ねて、人生を賭けよう」と結婚を決意したんだそうです。 国の農業政策のために農業に夢を持てなくなっているのは分かります。そんな中でも「自分はこういう仕事をしたい」とか「こういう夢を持っている」と言って、女性を口説くファイトがなければね。女性に男の夢が伝われば、結婚しようという人がきっと出てくると思います。 (聞き手)角張英吉
1949年 秋田県横手市で生まれる。 (新聞「農民」2002.4.1付)
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[2002年4月]
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