「農民」記事データベース20020318-531-09

農の考古学(3)

稲作の歴史をたどる


各地で見つかる縄文のイネ

 プラント・オパール(イネ科植物のガラス質機動細胞珪酸体)分析でイネが検出された縄文遺跡は三十を超えています。このほか炭化米の検出や土器に残された籾の圧痕が確認された遺跡を加えると、さらに多くなります。縄文時代にイネの栽培が行われていたことは、ほぼ間違いないとみてよいでしょう。

 イネのプラント・オパールは、標高五百二十メートルの中国山地にある岡山県真庭郡美甘村の姫笹原遺跡出土の縄文中期中葉(約四千五百年前)の土器からも検出されました。

 岡山県・ノートルダム清心女子大学の高橋護教授は、こうした場所からイネのプラント・オパールが見つかったことは縄文時代中期に、かなりの地域で稲作が広がっていたことが考えられるとし、同遺跡の稲作について「ソバ、ヒエ、キビなどの雑穀と結合した焼畑的なものだったろうが、棚田型に近い天水田も考えられる」といいます。

 岡山県では岡山市の朝寝鼻遺跡の縄文前期前半(約六千四百年前)の地層からもイネのプラント・オパールが検出されています。同遺跡の近くには津島岡大遺跡があり、縄文後・晩期の貯蔵穴からホタルイ・イヌホタルイなどの水田雑草が検出されました。

 岡山大学の沖陽子教授らは、調査報告書で「課題の多い問題」としながらも「水田雑草が認められること、土器内のプラント・オパール、イネの可能性もある種子の存在などから、畑の他に水田が存在した可能性もおぼろげながら想定される」とし、それも湿田ではなく乾田的な水田が推定されるとしています。

 さらに岡山県総社市に所在する南溝手遺跡からは、縄文時代後期後葉(約三千年前)の土器に籾の圧痕が確認され、土器の胎土分析ではイネのプラント・オパールが検出されました。

 これらの縄文イネの存在をもって縄文時代農耕の証明となるのか、弥生時代の農耕との質的な違いは何かを、次に考えたいと思います。

(つづく)

(新聞「農民」2002.3.18付)
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2002年3月

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