国民と連帯し、共同のたたかいを佐々木健三会長のあいさつ
激動の一年、農業つぶしとのたたかいこの一年は激動の連続でした。九月十日に我が国でBSE(狂牛病)が発生し、翌十一日には、アメリカで同時多発テロが発生し全世界に衝撃が走りました。テロ問題については、農民連としての声明も発表し態度は明確であります。テロはどんな理由があれ、絶対に許されません。その根絶のためには国連を中心に法と理性に基づく解決策をとるべきであります。その後の事態は、アメリカは報復のために戦争に突入、日本政府は戦後初めて自衛隊を派兵し、艦船を戦場に送りました。日本の平和憲法は、あの侵略戦争によってアジアの人々と、日本の国民に忘れることのできない惨禍をもたらしたことへの痛烈な反省と不戦の誓いが込められています。この日本の宝ともいうべき平和憲法を、踏みにじる行動は決して許すことはできません。
BSE(狂牛病)問題にとりくんでBSE(狂牛病)の発生は、生産農民と関連業者に大打撃を与え、何より国民にとって食の安全という大問題になりました。もしこのまま有効な施策がなければ、日本の畜産にとって壊滅的な打撃となってしまいます。政府に対して、責任を認めて全額補償することを要求します。今回の問題の全責任は政府にあります。本部はこの緊急事態にあたり、「BSE一一〇番」を開設しました。マスコミの取り上げもあって、たいへん大きな反応が生まれています。電話口を通して訴えられる内容はみんな深刻で、切実なものです。この声をなんとしても政府にぶつけてやりたいと、応対した本部も、落胆し、あきらめている人を必死で励まし、「一緒にがんばろう」と訴えました。大変な数の対話があり、「一一〇番」に対する期待、農民連に対する期待の大きさを肌で感じました。 また、この間、全国のみなさんの機敏な行動が広がりました。最初に発生した千葉県では、県連が、現地での対話・懇談や要請行動、支援のための活動など精力的に取り組みました。私もこの酪農家を訪ねて懇談することができました。この酪農家は「一時はどうしようもないほど落ち込み、もうやめようと思った。しかしここでやめればこれからにつながらない。幸い仲間の支えがあって再開します」と話していました。 十二月二十日には、群馬県連の呼びかけによって、前橋市に二百五十人を超す畜産農民が参加して、緊急の集会が開かれました。翌二十一日は、冷たいみぞれが降る中で、東京で集会と要請行動を行いました。前橋での行動は、大型トラクター六台を先頭に牛も参加し、市内をデモ行進しました。大型トラクターのずっしりとした響きは力強く、腹の底からの農民の訴えに似た力のこもったデモ行進であったと思います。映画「郡上一揆」のシーンを思い起こすものでした。 宮城県では、損害賠償を求めるたたかい、宮崎県では損害請求を進めるなど様々なたたかいが取り組まれました。
日本の畜産をめぐって私は以前、全国をめぐる機会がありました。自身が酪農家であったので、訪ねた多くは酪農地帯でした。大山や富士、岩手山、十和田山麓などには広大な牧草地が広がり、今日まで営々と努力が続けられています。例外なく戦後開拓による入植で、土地は火山灰、酸性土壌だったと言われていました。そこに牛を入れ、堆肥をつくり、これを投入して熟畑に変えてきた、まさに汗の結晶です。また動物を飼うということは、一日たりとも休むことなく、健康に気遣い、我が子のように手をかけ、生命愛育、動物愛育の心がなによりも大事であるのです。一方、経営のあり方としては、「健康で長齢」より「経済的で短命」、つまり牛が長持ちしないようになり、多量の穀物投入、環境問題の発生など、様々な問題も生まれています。今回のBSE発生の原因となった、イギリスなどからの汚染肉骨粉の輸入は、すべて政府の責任であり、厳しく追及し全額補償を求めていくことであります。そして、草食動物に肉骨粉を与えて高い経済効果を求める農業も見直されるときではないでしょうか。
この一年のたたかいセーフガードを求めるたたかいも、この一年間の大きな課題でした。四月には国民の大きな世論に押されて――千八百市町村、三十七道県で請願が採択――、ネギ、シイタケ、イ草の三品目を暫定発動させることができました。この運動を切り開いたのは、私たち農民連であることは明らかであります。全国で地道な活動をされたみなさんに心から敬意を表します。この暫定発動は、二百日間で切れて、本発動へ移行するのが当然であったわけです。農水省の事務方も、すべての準備は整っていると言明していました。しかし小泉首相は、自らの靖国問題の釈明のために、セーフガードを発動しないという、屈辱的で許しがたい態度をとりました。同じように、カタールで開かれたWTO閣僚会議においても、ブッシュ・米大統領の圧力を受けて、「農業の多面的機能などは提起しない」という態度であり、さらには構造改革の農業版である米「改革」など農業つぶしの政策を強行しています。 このような悪政は、国民全般に及んでいます。医療費や保険料の値上げ、戦後最悪の不況、五・四%を超す失業など、小泉内閣の「構造改革」は国民に耐えがたい痛みを押し付ける最悪の政治であり、国民諸階層との共同のたたかいが重要になっています。
ものをつくり共同の輪を広げようこの一年間でも、輸入の増大、不況による購買力の低下やデフレの影響もあり、農産物の価格は一層下がっています。政府は、従来不十分ではあっても一定の役割を果たしていた小麦、大豆、なたね、牛乳などの価格保障の仕組みを全部変えてしまいました。その結果これらの価格はすべて下がっています。改めて農産物の価格保障を求める運動が重要であります。さて、このような厳しい中にあっても全国で様々な「ものを作る」運動、卸や市場との共同の取り組みなどが展開されてきました。先に米対策部も立ち上げられました。政府は、米「改革」と称して、米制度の大改悪を強行しようとしています。全面的な取り組みとして、卸、小売、消費者との共同を発展させたいと思います。 一昨年に続いて取り組まれたスーパースイート「きぼう」のリレー栽培、上尾市場への出荷、東海ブロックの取り組み、秋田県連が地元市場と協力して午後セリを開き、積極的に生産を増やした経験や、岡山県加茂川町の取り組みなど、販路を拡大し共同の輪を広げることが、農村に活気を呼び戻しています。 昨年十一月、赤旗祭りが開かれ、全国の仲間が参加しました。今回はメイン通りを受け持ち、大変感動的な祭りとなりました。北海道から沖縄まで、あの長い通りいっぱいに農産物が並び、グリーンの旗が林立した光景は入場した人たちを圧倒し感嘆の声が上がりました。都内のお米屋さんも多数参加し、「この祭りは農民連の祭りでしょうか」と、うれしい誤解も聞かれました。あの風景はまさに日本列島三千キロ、安全な農産物を作る日本農民の誇りでもあります。そして、それを食べた人たちが、こんなに素晴らしい食べ物に出会えたことを喜び合う姿を見て、ここに私たちのよりどころがあると思いました。
群馬県上野村を訪ねて新聞「農民」の新年号の企画で群馬県上野村を訪ねて、黒沢村長さんにお会いする機会がありました。詳しくは新聞を読んでください。なぜ今回この企画になったかと言いますと、夏に発行された全国町村会のパンフレットの内容が、たいへん素晴らしく、私たち農民連が実践してきた方向とほとんど一致できることに注目したわけです。そこで中心になってこられた黒沢さんにぜひお話をということになりました。たいへん立派な見識と実践、不動の信念を持った方でした。決して恵まれた地理条件ではなく、山また山の村で様々な努力がされ、町村合併はもちろん、農協も合併しないでやっていくと語っておられました。強調したいのは、全国にある町村と農民連は、ほとんど同じ活動エリアになっていることです。中山間地、条件不利地域で活動する町村会のみなさんが、強引な町村合併には反対だという方針を掲げ、地域農業と自然環境を守ろうということには、私たち農民連も、もろ手を上げて共同していきたいと思います。今後、大いに展望を開きましょう。
財政と組織の発展について最近、農民連の活動が多くのマスコミに取り上げられています。先日は、本部に初めてテレビカメラが入り、生中継をしました。以前は「ある農民団体」などと言っていたところもフルネームを出すようになり、分析センターの活動、全国の仲間の奮闘によって、社会的認知は高まりました。しかし私たちの組織は、いま端緒を開いたというものです。今日の農業つぶしの実態を見れば、すべての農民が、農民連に入ってもらえる仲間です。要求を基礎に、単組に事務所と専従をもち、大きく打って出ようではありませんか。支部、班、単組を基礎に県連に団結し、全国に結集して今こそたたかう組織、農民連を強く大きくしましょう。財政については、昨年の全国委員会で方針を提起し、大会へ向けてのご検討をお願いしたところです。この方針に基づいて全力をあげてまいります。
(新聞「農民」2002.1.21・28付)
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[2002年1月]
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