そばを風に立てる長野
写真〈写真はありません〉はこの頃、荻原徳雄さんが篩(ふるい)でそばを風に立てている情景である。そばの実だけ下に落ちて、軽いごみは左の方に風に舞っていく(最終的には唐箕で精選をする)。 島崎藤村は「千曲川のスケッチ」の“収穫”の中で、稲籾を風に立てる情景をこう描写している。 「籾の入った箕を頭の上に載せ、風に向かってすこしづつ振い落とすと、その度に粃(しいな)と塵埃(ほこり)との混り合った黄な煙を送る」 「その女房が箕を高く差揚げ風に立てている」 刈り取ったそばを棒で叩き落とす(棒打ち)ときは汗ばむほどの晴天だが、さすがに高原の晩秋である。棒打ちが終わって風に立てる頃はちょうど冷たい西北の風が吹きはじめる。 藤村が「風に立てる」と使っていたので全国的に使われる言葉かと思ったが、広辞苑にはないし、長野県内でも広くは使われていないようである。が、荻原さんと「風に立てよう」なんて話していると、この表現以外にないような気がする。 今では機械化されて死語になりつつあるが、この言葉に私は農民の知恵と巧みさを思う。そして、北アの槍ヶ岳が小さくくっきり浮かぶ茜色の空とともに、晩秋の季節感をこの言葉に覚えるのである。 (小林節夫)
(新聞「農民」2001.12.3付)
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[2001年12月]
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