「農民」記事データベース20011126-518-02

“仲間が親身になってくれた”

千葉県・白石市の酪農家が搾乳再開


 「仲間の励ましがあったから営農を再開できる」――。国内で初めて狂牛病が見つかった千葉県白井市の酪農家を、千葉県農民連の小倉毅書記長とともに、十一月十日に訪ねました。営農の再開に向けた準備で忙しいなかで、取材に応じてくれた夫妻。十六日に新しい牛の搬入が行われ、同日夜から搾乳を始めました。

 「牧場内に『乳牛感謝碑』を建てて、二日に慰霊祭をやりました。今は牛舎の掃除や、まわりの花の植え替えに忙しい」。ハキハキと話す奥さんの言葉からは再開に向けた充実感が伝わってきます。

 新しい牛は、千葉県酪連が県内の酪農家に牛の提供を求めたところ、五十軒ほどの農家から約七十頭の申し出があり、その中から三十二頭を購入しました。

 購入資金は、狂牛病発生以前に飼っていた牛を全頭殺処分(四十七頭)した際の補償金。国から補償金がおりてから支払うという条件です。処分から二カ月も経つのに、まだ補償金を払っていない――国の対応は呆れるほどのスローモーぶりです。

 夫妻の夢は、子どもたちとふれあえる酪農。そのために、農業開発公社の事業を使って、九七年に交流施設を併設したフリーストールの牛舎を新築しました。しかし、きれいな花壇に囲まれた牛舎の中は、牛が一頭もおらずガランとしています。「子どもたちからも『なんで急にいなくなっちゃったの』って…」と奥さん。

 夫妻が狂牛病のことを知ったのは、農水省が発表した日(九月十日)の午後四時。突然、県の職員が「書類を書いてほしい」とやって来たと言います。その直後からマスコミの取材攻勢が始まりました。まるで加害者のように扱うマスコミの報道に、「泣きたくなった」という夫妻。

 「一時は、どうせもうからないんだから酪農をやめようと思った。だけど仲間が『俺が代わりに霞ヶ関に言ってやるよ』とか、親身になってくれて…」。ご主人は複雑な心境を語ります。

 心身ともに疲れている夫妻を支えたのは、仲間の酪農家たちでした。同じヘルパー組合に所属する湯浅清春さん(船橋市で50頭搾乳=45)は、たびたび夫妻を訪ねて相談に乗り、営農の再開を助けてきました。「再開してもらわないと、この人が悪いということになってしまう。われわれ畜産農家は被害者だ。危険を知りながら肉骨粉の輸入を許してきた農水省の怠慢には、はらわたが煮え返る思い」と湯浅さんは言います。

 農民連は十一月十三日に狂牛病問題で八回目の農水省交渉を行い、小倉さんは「農家が受けた精神的な苦痛は相当なもの。処分牛の補償だけでなく、きっちり謝罪し、休業した二カ月分の生活費を補償すべきだ」と強く求めました。

 「肉骨粉なんて使っていない。本当にうちの牛か、今でも疑問」という夫妻。感染源の解明は、防疫を怠ってきた農水省の責任です。交渉で農水省の担当者は、イタリアや香港などの輸入肉骨粉に、イギリスで作られたものが混じっていなかったか調査していることを明らかにしました。

 「乳価がこのまま下がり続けたら酪農家はどんどん減っていく」と、酪農の現状を訴えるご主人。交渉後に開かれた畜全協第九回総会は、こうした畜産物の買いたたきと輸入飼料への依存を推し進めてきた畜産政策が、狂牛病発生の背景にあると指摘。自給飼料を中心にした畜産経営ができるように、畜産物の価格を抜本的に引き上げるよう運動を強めていくことを決めました。

(二瓶)

(新聞「農民」2001.11.26付)
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2001年11月

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