信州のおばあちゃんと“茶のみ”吉田文子
茅野市で出会ったおばあさんの小尾けさみさんのお嫁さんの恵美子さん(佐久市出身)が、佐久にとても素敵な叔母がいるので紹介したい、と連れて行ってくれました。工藤みねさん、七十七歳です。
細やかな心遣い「あれ、明日来るんじゃなかったの? あれ、まあ」。日を勘違いしていた様子で、びっくりしながらも、なにも準備がなくても小梅漬け、紫蘇の実の佃煮、みょうがの酢漬け、なすの辛子漬け、瓜のかす漬け、プルーン煮の自家製瓶詰など、次々とお茶請けが出てきました。信州のおばあちゃんの底力を感じます。みねさん夫婦は息子さん夫婦、お孫さんと同居しており、五人家族のごはん作りはすべてみねさんの担当です。「こうしてね、梅漬けをきざんでおくと、種ついたのがコロンとしているより食べやすくて、朝忙しい時でも、みんなが食べてくれるの」。おばあちゃんの細やかな心遣いに家族の健康が支えられています。 佐久といえば「佐久鯉」で有名です。長野県は海がないため、鯉のあらい(冷水に通したさしみ。酢味噌で食べる)、うま煮、から揚げ、味噌煮(鯉こく)など、さまざまに料理して食べられています。江戸時代に殿様が淀川の鯉を持ってきて飼ったのが始まりといわれ、水がきれいで冷たいと、身の締まったおいしい鯉に育つのだそうです。 昔は水田で鯉やフナを飼っていました。小さい魚を入れておくと、動きまわるので、雑草が生えてこないのです。六月頃から秋の稲刈りの前まで三カ月水田に入れておくと、六〜八センチくらいに成長し、よいものを選んで池に移して大きく育てるのです。秋の稲刈り前に水を落とす時、一緒に鯉やフナを水田から出して料理して、甘露煮など、保存のきくものは冬場のタンパク源でした。水田の除草と食用で一石二鳥でした。
佐久鯉とお蚕様フナの甘露煮は次男おじいちゃんの好物。毎年欠かせません。たくさん作って冷凍しておき、一年中食べます。田んぼでフナを育てることが減ったので、フナを入れておくとすぐに鳥に狙われてしまいます。昔はどこの田んぼにもフナが入っていたから、鳥に多少食べられてもかまわなかったのですが、今ではフナは専用に囲いをして、池で飼われています。佐久鯉の餌となったのは、蚕のさなぎです。「おかいこさま」は昔はどこの農家でも貴重な現金収入源でしたから、様付けで呼ばれていました。年間百かんの繭玉を生産。一かん三・七五キロですから、あの軽い繭玉で三百七十五キロとは、相当な量です。 桑畑に桑の葉を取りに行き、一日四〜五回、新鮮な桑の葉を蚕にやらねばなりません。十二時過ぎに寝て朝四時ころ起きるのが普通です。山へ桑取りに行くのは朝夕の二回だけにして、庭のコンクリートブロックの小屋に萎れないようにいれておきます。一カ月ほどで蚕が育ち、繭を作ってくれます。それを七月、八月、九月、十月と年四回ほど繰り返すのです。「今考えれば、よくあんなことをやったと思うよ。家中畳を上げて、蚕部屋にして、人が縁側で寝てたんだからね」。 みねおばあちゃんは、漬物や畑の今年最後のとうもろこし、花など、たくさんのお土産をもたせてくれました。「また出かけておくんなんし」。 (連載終り)
フナの甘露煮 (新聞「農民」2001.11.12付)
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[2001年11月]
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