「農民」記事データベース20011022-513-01

「ニガウリはふるさとの味」

消費者の林能子さん

「おいしいの一言が何よりの喜び」

生産者の斉藤教子さん


消費者からのお便り

 「こんにちは!はじめまして。今日、愛らしいニガウリを見つけました。田舎で子供のころ、畑からもいできて甘辛く煮たニガウリをよく食べたものです。懐かしくて祖母や母が台所で働く姿を思い出しました。とてもおいしかったです。ありがとうございました」(愛媛出身の女性から)

 「縁あって斉藤さんの作ったゴーヤをいただきました。とってもおいしく、母の味を思い出しました。木綿豆腐でゴーヤチャンプルにして食べました」(沖縄出身の女性から)

 「あなた様の育てたニガウリ、おいしくいただいています。ニガウリは私の大好きな物の一つです。三宅島から東京へ避難してきて一年、とてもなつかしかったです……。どうかいつまでもがんばって作ってください。私どもも帰島できるまでがんばります」(三宅島出身の女性から)

 三宅島ではニガウリを毎日食卓に

 今年の夏、千葉県船橋市の畑作農家の斉藤教子さんに、こんなハガキが東京都内の消費者から届きました。斉藤さんが育てたニガウリに一言カードをつけて、船橋農産物供給センターを通して市場に出荷したところ、八百屋でニガウリを買ってくれたお客さんが「おいしい!」というハガキを送ってくれたのです。ハガキの送り主のお一人で、三宅島から杉並区の都営住宅に避難してきた林能子さん(62)を訪ねました。

 「三宅島では毎日食べていたのに、東京ではなかなか売っていなくて。とても懐かしくてうれしかったんです。生産者がわかるのは安心でいいですね。スーパーではたくさんの輸入ものが売っているけど、私は国産を選んでいるんですよ」と林さんは言います。

 三宅島は去年六月、火山噴火を起こし、全島民が避難。火山性ガスを噴出し続けており、一年たった今なお帰島のめどがたっていません。「避難生活がこんなに長くなるとは思わず、本当に着の身着のままで島を出てきてしまったんです。電化製品は都が貸してくれましたが、とにかく仕事がなくて」と林さん。今は公園管理の仕事をしていますが、この仕事も苦労して捜し出しました。車移動がほとんどだった島の暮らしから一変して、一日二万歩も歩く仕事になり、ご自身も足痛で病院に通いながら、病身のご主人の介護をしつつ生活しています。林さんの穏やかな話しのなかに、避難生活の苦労がせつせつと伝わってきます。

 避難生活の中でとてもなつかしい

 「島では、主人の実家が農家で、私も自家用にニガウリ、ネギ、大根、サトイモ…なんでも作っていました。今、輸入野菜が増えていますけど、三宅島も同じ道をたどってきたんです。かつては島で作れるだけ作って、足りない物を本土から運んできましたが、だんだん農家の現金収入が減って畑がボーボーになって。本当は三宅ではおいしいキヌサヤができるんですよ。農業はつぶしてはダメですね。輸入が止まってしまったらどうするんでしょう」と、林さんは農業への思いを話してくれました。

 日本の農業をつぶしてはダメです

 斉藤教子さんのニガウリは通勤の帰り道の店先で見つけたのだそうです。「焼いても香ばしく、薄切りにしてミョウガと鰹節和えにしてもおいしいのよ。お弁当にも入れていくの。私はニガウリは買ってきたらすぐにワタと種をとって冷凍保存しておきます。ニガウリは棚を作るのが大変で、斉藤さんも苦労されたのではないかしら」と農家の苦労を偲びつつ、林さんは三宅島に帰島できる日を待ちつづけています。

 ニガウリを出荷した斉藤教子さんは、次に出荷したニガウリの生産者カードにこう書きました。「“とってもおいしかった”とお手紙を頂きました。私にとっては何よりの喜び、暑い中での仕事も苦になりません。“おいしい”その一言が聞きたくて、これからもガンバリます」。

(満川)

(新聞「農民」2001.10.22付)
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2001年10月

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