日本への開発輸入ねらっていま、中国・黒竜江省で猛烈な「開田ブーム」“中国・東北産きららやコシヒカリ、あきたこまちの生産コストは一俵千円”“黒龍江省の国有農場が、日本をねらって有機栽培に全力”“日本商社の米ビジネスはアメリカから中国にシフト”――。米の「開発輸入」というべき事態が急速に進んでいます。米を野菜の二の舞にしてはならない――福岡に飛んで緊急取材しました。
「きらら」「コシ」など日本品種作付け現地生産費は一俵800円一省だけで日本と同じ水田面積中国最北の黒龍江省は、いま「開田ブーム」です。八二年に二十万ヘクタールだった水田が、九四年には七十五万ヘクタールに、九九年には百六十二万ヘクタール(図1〈図はありません〉)。減反が百万ヘクタールを超えた日本の米作付面積(百六十八万ヘクタール)とほぼ同じ面積です。さらに二〇一〇年までに二百三十三万ヘクタールに拡大する計画だといいます。 東北三省(黒龍江省・吉林省・遼寧省)で作られている米は、青森や北海道などで育種された稲の血が入っているものがほとんど。さらに、きらら三九七、コシヒカリ、あきたこまち、ひとめぼれなど、日本品種の作付も急増しています。
日本では減反、中国は米に転換「『平成コメ騒動』が黒龍江省での稲作急増の引き金になりました」(昨年七月、黒龍江省のジャポニカ米産地を視察した村田武・九州大学教授)。一九九三年の大凶作の結果、日本は米を二百五十九万トン緊急輸入しましたが、中国からは四二%、百八万トン。その九割が東北三省からでした。 この当時は保管方法や精米技術が悪く、輸入された中国米の評判はさんざんでしたが、中国農民の販売価格は九二年のモミ一キロ八〜九円が、九四年には十三〜十六円、九五年には十九〜二十四円と、二・五倍近くになりました(現在は十五円前後に値下がり)。 この結果、米の収益性は小麦や大豆、トウモロコシの三〜四倍になり、なだれをうつように畑作から稲作への転換が進みました。黒龍江省の稲作をリードする農墾区(国有農場)の稲作面積六十九万ヘクタールのうち、四十万ヘクタールは畑から水田への転換だという報告もあるほど。 日本は「米減反」、中国は「米への転換」という対照的な事態が進んでいるのです。
収量の伸びは20年で二〜三倍に「中国国民が米の飯を腹一杯食べるためなら、米の増産は喜ばしいことだし、先人たちの農業技術援助も大いに生きる」(井田磯弘福岡県稲作経営者協議会長)。事実、「北大荒」(北の不毛の地)と呼ばれた黒龍江省で、米がこれほど増産された背景にあるのは、日本の耐冷性品種を導入した品種改良と、北海道で確立された「畑苗移植」技術の普及。十アール当たり収量 は八四年まで(直播)が百五十キロ、八五〜九三年に三百キロ、九〇年代後半には五百二十七キロへと急激に伸びました(表1)。
“奇跡”といってもいい収量の伸びですが、これを金もうけのタネにしようと画策を始めたのが、日本の大商社でした。
SBS米のシェアは中国米が増大商社と米卸などが“談合”し、日本で主食用として売れそうな米を選んで輸入するSBS(売買同時入札)米。“完全自由化の予行演習米”ともいわれ、ミニマム・アクセスの一部です。SBSがスタートした九五年から九七年まではアメリカ産米が六十数%を占めていましたが、九八年からは中国産米が五〇〜四四%を占めてトップに立ちました。しかも、利にさとい総合商社の中国米輸入比率は三分の二前後を占めています(図2〈図はありません〉)。三菱、住友などが、アメリカでの契約栽培量を減らして中国米に切り替えたためです。 この背景を、村田教授と一緒に黒龍江省を調査した高武孝充・福岡県農協中央会農政営農部長は「ニチメンをはじめとするわが国の総合商社が稲作を手取り足取り教えて、できたコメをわが国に持ち帰るという、まぎれもない開発輸入だ」と指摘します。
米価は一俵1200円、田植機は一万円商社が重視したのは(1)コスト、(2)銘柄、(3)精米・保管技術の改善。コスト面 では、収量の飛躍的な伸びとケタ違いの低労賃によって自家労賃を除く生産費は八百円弱(表2)。一俵千二百〜千四百円で売っても、国有農場の農家は労働者の平均年収を上回ります。
村田教授らの聞き取りによれば、国有農場の農家はすべて臨時雇いを雇用しており、日当は四百円前後。月雇いで七千五百円、年雇いの場合は六万七千五百円(男)から四万五千円(女)。 加えて、吉林省で作られている田植機の値段は、一台一万円だといいます(北海道大学、坂下明彦助教授らの報告=『北大農経論叢』二〇〇一年三月)。
黒龍江省の概要 (新聞「農民」2001.7.9付)
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