「農民」記事データベース20010521-493-03

昨年10月の鳥取県西地方地震の傷痕

農業施設の被害対策いまもほとんど手つかず

 昨年十月六日、鳥取県西部地方を襲った震度六強の地震は、今なお深い傷痕を残しています。四月二十七日に、もっとも被害が大きい溝口町、日野町を訪ねました。


 新緑の季節を迎えた鳥取県西部地方は、田植えを終えた水田に苗がそよぎ、まぶしい若葉のジュウタンの上に、残雪を抱いた大山がそびえる、最高のロケーション。しかし、屋根に青いビニールシートをかぶせたままの家のなんと多いことか。住宅地には破壊された住宅が解体され、櫛が抜けたように空き地が出現。道路の脇に立つ電柱が右に左に傾き、巨大な岩が山を駆け抜けて道脇に転がっています。

 阪神淡路大震災の教訓を生かし、現地の農民連や民主勢力の運動によって住宅の損壊など、生活への援助は一定の成果を勝ち取っているものの目に見えない部分、特に農業施設の被害対策は、一部を除いてほとんど手つかずの状態です。

■無残な姿の田んぼ

 秋に刈り取られたまま田起こしされていない水田があちこちに残されています。

 無数にひびが入り、畦が崩れている無残な姿の田んぼ、水路が崖崩れで埋まってしまったり、コンクリートの水路のつなぎ目が随所で破壊されています。ため池の被害も無数に広がっているといいます。

 鳥取西部農民連役員の幅田智恵美さん(溝口町議)は「水路や田んぼを復旧するメドがたっていないところが多い。高齢化や米価暴落のなかで農家は計り知れない打撃を受けている。災害対策のたたかいはこれからです」といいます。

 中国地方最高峰の大山。この大山を水源に鳥取県西部地方の住民の多くは暮らしています。谷溝を下る水や湧き水を確保するため住民は、その先人たちによって集落ごとに水路を掘り、多くは大山のすそ野を随道となって通っています。水路は、地域住民にとって文字通り命綱であり、建造が明治後期といいますから、百年近くにわたって集落が共同して営々と守り続けてきたものです。今回の地震で随道が損壊し、通水しなくなってしまいました。

■決死の覚悟で随道へ

 訪ねた溝口町の大坂地区が管理する「大成井出随道」は水路の全長一キロのうち随道部分は約三分の一。そのうち百五十メートルが崩壊していました。随道は、高さ七十センチ、幅四十〜五十センチ程度か。腰をかがめて人間がやっと入れる大きさです。大地震の直後、頻繁に発生する余震の中を専業農家の益田さんが「いてもたってもいられず決死の覚悟」で単独入坑。その勇気に励まされ、集落の人たちは三回にわたって入坑して被害の実態を調べました。この調査をもとに何度も集落の会議を開いて話し合いをもち、町や県への働きかけを行い、東京に代表を送って政府と直接交渉も行いました。その結果、復旧の総予算七千万円のうち農家負担二%という成果を勝ち取りました。こうした住民の必死の奮闘で十五戸の生活用水が確保され、七ヘクタールの水田が救われることになったのです。この成果は、役場が集団移転を検討した隣の大原地区にも波及し、二十一戸と九ヘクタールの農地が救われました。

 二%の負担で復旧できる見通しができたことは大きな成果ですが、これに工事の機械を運ぶ道路、足場など負担も加わります。行政の援助の対象となる届け出の期限は締め切られているものの、見た目には異常がなくても「田んぼに水を流して見なければ分からない」という状況が心配されます。

■復旧への強い思い

 この地域一帯の山の中腹を「緑公団」が数百億円に及ぶ経費をつぎ込んで高規格道路が計画され、すでに着工されています。現地の人たちは「『緑』とは名ばかりの自然破壊だ。あの無駄遣いをやめて、被害対策にまわせばどんなに被災者が喜ぶことか」と語気を強めます。

 日野町で被災現場近くの空民家を事務所として確保し、対策に全力をあげてきた佐々木求さん(鳥取県連事務局次長・日野町議)は「被害対策はこれからが大事。農業を続けていけるかどうかのギリギリのたたかい」と語ります。

 農業を続けたい、村での暮らしを守りたいという農民の思いが復旧の何よりのエネルギーであり、奥深い山間地で逞しく村を守る人たちが頑張っていることに語り尽くせない勇気をもらいました。

(S)

(新聞「農民」2001.5.21付)
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2001年5月

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