「農民」記事データベース20010416-489-12

「すずき産地」の八細工七貧乏

北茨城市から 鈴木孝夫


番外編

食卓と田畑から政治を変える

 今年、市役所から約百五十アールの減反割当が届いています。もちろん言いなりになるつもりはありません。

 *「青刈り」に涙した父

 水田の減反政策が始まったのは私が中学生のころです。父(一昨年に他界)も当初は受け入れていました。それが、「青刈り」をきっかけに拒否に転じます。稔る前に刈り倒している稲の茎に、すでに小さな穂が育っているのを見つけたことがきっかけでした。「涙がこぼれた」といいます。そして、こんな馬鹿なことを強制する農政には従っていられないと、以降はいっさい減反を拒否するようになりました。

 *ノー政のおかげで直売・無借金

 以前は、「減反をやらないと翌年の出荷枠を減らす」という罰則がありました。私がUターンした年の出荷枠は十五俵、翌年には一俵しかなくなってしまいました。やむを得ず選んだのが直売の道。自分で売るしかなかったからこそ、おいしさや安全性にこだわってきました。

 農業関係の助成金が受けられないという罰則もありました。農機具を購入する際に借りられる低利の資金が利用できず、おかげでずっと無借金経営です。「農政や農協の言っていることと反対のことをやれば農業はうまくいく」とは農家の誰もが口にすること。なるほどと実感する次第です。

 *農政にも積極的に関わる

 私は農業委員を務めて四期目になりますが、「行政なんか相手にしていたら百姓つぶれちまう」という思いできました。ところが一昨年、妻が補選で市議に当選。そして先日、通常選挙で二期目の議席を得ました。選挙では一貫して次のように訴えました。

 「北海道生まれの私が、夫の故郷である北茨城市に移り住み、有機農業に取り組んで十六年になります。みなさんの健康を守る方向でこそ農業も発展するし、街起こしにもつながると信じてがんばっています。今の政治は、農産物を外国からどんどん輸入しながら、大幅な減反を押し付けるなど、日本の食料と農業をダメにしています。政治を大元から変えるしかないというのが暮らしの中からの実感です」

 田畑で汗を流すと同時に農家も消費者も期待できるような政治に変える立場で家族ぐるみで積極的に関わっていくつもりです。

(新聞「農民」2001.4.16付)
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2001年4月

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