「農民」記事データベース20010312-484-07

韓日農民の交流 (3)


客人を敬う気持ちに感じ入る

 頑固に韓国流食生活を守って

 韓国の料理は多彩です。空港から車で二時間ほどで着いた利川市の食堂では、戸法農協の金大植組合長が大きく手を広げて私たちを出迎えてくれました。この食堂には、同農協が食材を供給しているとのこと。

 テーブルの上に並ぶ料理の第一印象は、ヘルシーでゴージャス。小皿に三種類のキムチ、ゴマとゴマ油をベースにした野菜の和えもの(ナムル)、エゴマの葉の醤油漬け、焼肉(プルコギ)、スープ、自慢の「利川米」に松の実などの薬膳を人れて一人用の石釜一つ一つで炊いたご飯……。

 一つ一つに女性たちの心と働きが込められた「オモニ」(おふくろ)の味です。

 韓国料理といえば焼肉――これが日本での通り相場ですが、そんな貧相なものではありません。焼肉を包む生野菜も十種類以上あるとのこと。野菜を食べることにかけては世界一ではないでしょうか。

 通訳の尹愛莉さんが「利川の名物はドジョウ汁」というので、昼食でごちそうになりました。「柳川鍋」風を想像していたのですが、出てきたのはドロドロした大鍋。ドジョウをよく煮てすりつぶし、唐辛子やニンニクで味付けした野菜たっぷりの鍋です。歯にコツコツと当たるのがドジョウの骨。「韓国人は貧しかったから、何でもおいしく食べるのよ」(尹さん)。

 手間を惜しまず、素材をおいしく食べる――アメリカ型の「ファスト(速い)・フード」とは正反対の「スロー・フード」です。

 この国は、明治以来、日本に植民地にされ、第二次対戦後はアメリカに占領された国です。しかし、日本人の食生活がアメリカ食糧戦略のもとで“洋風化”され、今頃になって「日本型食生活」の見直しが食料自給率向上の“決め手”として喧伝されているのとは対照的に、頑固に韓国流食生活を守ってきたごちそうになるたびにかみしめたのは、こういう思いでした。

 その中心は、なんといってもキムチです。塩とニンニク、唐辛子はもちろん、梨やニラ、セリ、ネギ、松の実、イカやアミの塩辛などなどで熟成されたキムチが食事のたびに何種類も出され、おかわりも自由です。

 韓国の農協組織が開いている巨大な食品市場(ハナロマート、売り場面積五千七百坪)の一角は、キムチの材料コーナー。白菜や大根はもちろん、唐辛子や塩辛などが何種類も並べられて壮観です。丸々太った白菜や香辛料をどっさり買って家路に着くご夫婦が目立ちます。

 東京以上にマンションが林立するソウルのど真ん中で、冬支度としてキムチを漬け込む。日本でも以前には見られた光景が、この地ではなお健在です。もっとも、マンションではキムチ蔵を建てるわけにもいかず、キムチ用冷蔵庫が、いま最も売れ筋の電化製品だとのことです。

 礼節を重んじる国に日本が侵略

 韓国は礼節の国です。長幼の序を重んじ、長老は必ず真ん中の席に着くことになっており、例外はなかなか認められません。当然、小林節夫代表常任委員(当時)が主賓です。

 しかもニンニクとネギが韓国料理のベース。これがあまり得意でない小林さんの前にキムチがどっさり並ぶので、私がそっと遠ざけると、次々に料理を運んでくるオモニが元通りに戻す……。郷に入れば郷に従え。

 雑穀で作ったという「どぶろく」と名水の里・利川の水で作った焼酎「真露」(日本で飲むのとは格段の差です)。どちらも大変においしいのですが、私が感じ入ったのは、金組合長さんが必ず左手を胸に当てながらお酌をすること。客人に対する敬いの気持ちなのでしょう。

 あまり脈絡はありませんが、これほど礼節を重んじるこの国を、日本が加藤清正以来、侵略し、「併合」してきたのかという思い、自分は侵略者の末裔なのだという思いがこみあげました。

(真嶋良孝)

(新聞「農民」2001.3.12付)
ライン

2001年3月

農民運動全国連合会(略称:農民連)
〒173-0025
東京都板橋区熊野町47-11
社医研センター2階
TEL (03)5966-2224

本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
Copyright(c)1998-2001, 農民運動全国連合会