農民連十三回大会での発言“農業やる”とサラリーマンからいきなり就農福島・浜通り農業を守る会 阿部 拓
私の住むいわき市には農家が一万戸ありますが、会員は十人しかいません。活発な福島では成績の悪いところです。私は五年前、農地も不、農機具も、技術も、住む家も、何もないまま妻と子どもを連れていきなり借地、借家で就農しました。 それまでは、電子部品の開発設計で毎日夜十時まで働いていました。苦労して作った製品も何カ月かすると旧タイプになり、また新しい製品を開発しないといけないのです。こんなことをこのまま続けていていいのかという疑念と、どうせなら人に喜ばれる仕事をしたいということで農業に入ったわけです。 これまで、子どもがアトピーで安全な食料を手に入れるために苦しんできたので、やるなら健康で安全な物をと思い、田んぼ三反、畑一反とニワトリ五十羽でスタートしました。
はじめは失敗の連続で借りられる農地は条件の悪いものばかりでした。農地は十八キロ四方に散らばっていて、今でも毎日軽トラックに農機具を積み、弁当を持って通う“通勤農業”です。私が借りた田んぼはもともと休耕地で畦はねずみの穴だらけでした。最初、何も知らず代掻きをしたら、次の日には水がない。毎日水をやり、気がついた時には隣りの田にしっかり水が入っていました。穴を塞ぐと、こんどはザリガニが発生してまた穴をあけました。ヘトヘトになりながら手で草取りもやりました。 それから、廃材を使ってニワトリ小屋を建て、ヒナを育てました。山にニワトリ小屋を作ったので番犬を飼いました。この犬が、私が目を離したスキにヒナを次々かみ殺しまして、番犬ならぬ駄犬のえらい仕業に会いまして、半年後にニワトリは全滅し、買い直すはめになりました。
直売所作りやっと軌道にそんなことをやっているあいだに稲は大きくなったのですが、今度はスズメが襲ってきました。やっと稲を収穫して、はぜかけをすると、また集中攻撃されました。失敗したことを直そうとさらに効率の悪い方法でするものですから、ますます作業が遅れます。こんないい加減な百姓なので、まわりの農家からは百姓として認められず相手にされません。農民連の会員勧誘をしても、誰も入ってくれないわけです。そんなことを続けていて、これはいかんということで、昨年、仲間と直売所を開設しました。その結果、消費者との交流もはかられましたし、農民も三名ほど参加してきました。これでいいと思っていたら、昨年十二月の県連大会で「農家戸数一万戸で一つの単組を作る」という話になりました。県連の方に「今ある単組も十人くらいから始めたのだから、いわき市でもやってやれないことはない」と言われましたので、県連の強力なバックアップを受けながら単組に独立していきたいと考えています。 私は農業が好きで、今更サラリーマンに戻る気はありません。今は夢を半分食いながら生きている状態ですが、直売所もやっと今軌道にのりはじめたので、これをもっと大きくして会員勧誘をやっていきたいと思います。
(新聞「農民」2001.2.19付)
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[2001年2月]
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