「森と自然を守る全国集会」から自然・環境・村起こし(1)小林節夫吉野川 住民合意の「第十堰」
十一月十七〜十九日、第十三回「森と自然を守る全国集会」が新潟県村上市で開かれました。 私は三年前の仙台の集会から参加しましたが、印象に残るのは庄子幸助さん(元、日本共産党衆議院議員)がブナの森林を歩き、その大切さを説いておられたことです。仙台集会のときは国有林問題が中心でしたが、今では自然・環境や村起こし、あるいは都市と農村の交流、民有林の問題まで取り上げるなど、農民運動にも深い関わりがあり、また学ぶべきこと、関わるべきことの多さを痛感しました。以下、二〜三、印象的なことを報告します。
可動堰計画がなぜ「見直し」に中嶋信教授(徳島大学総合科)は、吉野川第十堰の問題の特徴について次のように報告しました。(1)地元は、三木元総理や後藤田氏など自民党の非常に強いところで、ほとんど軸になるような組織がなかった。したがって、みんなが研究するということで出発し、広範な人々に目を向けた視野の広い運動になった。決して「反対」が前堤ではなく、文字通り考える、研究するという立場であった。これが大きな力になった。 (2)計画の段階で研究を始めたことが幸いした。実施する段階になってからでは手遅れだ。 (3)建設省は五十年に一度の大洪水があっても大丈夫という計画だと説明したが、科学者の厳密な調査から、五十年に一度の洪水でも建設省のいう危険水位にはならないことが立証された。 (4)江戸時代からあった堰は竹篭のなかに石を入れたもので、したがって水を完全に締め切ることはなく、塩水が入ったり出たりするものであった。 以後、修復しながら今日の堰になった。決して古いからダメになったのではない。いまでも十分役立つ堰である。 (5)自然保護運動の人たちの地道な運動と観察が大きく役立った。
吉野川と堰には古い歴史がある第十堰は吉野川河口から約十四キロ上流にある堰で、かつての「第十村」の名前をとってつけた名です。◎竹林・水制・斜め堰 吉野川で特筆すべきものは、洪水を押さえ込む水害防備林である竹林です。新河川法でも再評価された有力な方法です。 川はS字型に蛇行し、その水が当たる箇所が痛みやすいのですが、そこに石などで水制を組むと簡単だが水のエネルギーを分散できます。昔ながらの水制があちこちに残っています。 斜めの堰も流れに逆らわずに水を逃がして堰を長持ちさせる古くからの技術です(『第十堰のうた』)。 ◎吉野川の洪水と藍の歴史 江戸時代、吉野川流域は藍の産地で、これを蜂須賀藩は藩の大きな財源にしていました。藍を毎年作れば連作障害になるわけですが、洪水によって新しい肥沃な土が運ばれるので連作が可能でした。そのために、藩は無堤防主義をとって堤防を作らせませんでした。藍は台風の前に収穫されました。吉野川と堰にはそういう歴史がありました。 ◎ランドマーク第十堰(ランドマーク:歴史的・景観的に意義のある、際立っためじるし)
「第十堰は低い堤が川幅一杯に横切る洗い堰だ。はじめて見た人はその大きさに必ず感嘆の声をあげる。川水が堰の斜面を比較的にゆるやかに流れ落ち、しぶきや瀬音を立てる。魚はこの流れを縦横に駆けめぐり、コサギやアオサギがそれを追い求めて群れ動く。堰の下は真水と海水が微妙に混じり合う汽水域だ。水中の生き物は塩分の濃さにあわせて凄み分けを図る。ここのシジミは昔から味の良さで定評がある。河口からスズキを追って来る漁師もいる。いっぽう、堰の上流は淡水魚の世界だ。アユやフナ、コイなどの魚影が濃い。ブラックバスを狙う子供たちが岸で竿をふる。河川敷には様々な農産物が茂り、無数の昆虫や野鳥が棲んでいる。堰の周辺は豊かな生態系が保たれていて、野鳥の会など自然保護団体の有力な観察地点である。そして、そのようなおおらかな風景に誘われて、町はずれなのに人影が絶えることはない。地域のランドマークなのだ。…第十堰の周辺には山と平地を背景に川が悠々と流れる大きな風景がある。可動堰計画はこの風景を取り払い、長良川のような住民立入禁止の無粋な空間をつくり出す。ふるさとの風景が消える…」(『第十堰のうた』) (つづく)
(新聞「農民」2000.12.4付)
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[2000年12月]
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