「農民」記事データベース20001113-470-08

中国の農業を垣間見て

小林節夫


〔その3〕山東省莱陽市近郊の畑作地域

思いがけなく農家と交流…

 第三日・十月二日。八時半出発。莱陽市近郊の畑作農業視察の途中、いたるところで道路や橋梁の工事が進められていました。

 途中、野菜を山のように積んだ車としばしば行き合いました。午後の視察でそれがホウレンソウだと知りました。あちこちで、肩掛けの噴霧器で消毒しているのが見えました。案内してくれた人の「あれは殺虫剤ではなく、殺菌剤だ」という説明には苦笑しました。

 延々と続く国道に近い畑で、家族が四人で農作業している光景を見て、みな、「耕作している農民に話を聞きたい」と思っていたので、期せずして“オシッコタイム”ということでマイクロバスから下りたまま、農家Aさん一家のところへ駆け寄ってしまいました。

ここには本当の農業がある

 Aさんは三十三歳。畑にはトウモロコシ、落花生(ともに収穫ずみ)、サツマイモ、オクラ(韓国輸出用)を作っており、落花生のマルチに使ったビニールを片づけて、小麦の種を播いているところでした。

 模範的な豊かな地帯と自慢していた輸出ホウレンソウ地帯とはちがって、ここでは立派に輪作が行われているのです!

 そして、トウモロコシやコウリャンの出来ばえは実に「平ら」でした。私たちの地方の方言では「ぶっ切ったように平らにできた」といいますが、それは上手に作り、作柄がよいことを意味します。ここには健全な農業がある!

 私たちが日本の農民であることを聞いて、忙しい仕事の手を休めて、みんなの質問に答えてくれました。

 畑が乾いているときは鉄牛(ガーデントラクター)だが、今は水分が多いので牛で耕しています。仕事の途中で家族四人がこちらへ来てしまって、手綱をそのままにしていても、交流している間中、牛はおとなしく動かずに待っていました。ふだんこの農家がどんなにやさしく牛を飼っているかがうかがえて微笑ましく、また懐かしく思いました。

 今年のトウモロコシの作柄は一ムー(六・六七アール)五〇〇キログラムとのこと。日本流に言えば一〇アールあたり七五〇キログラム。たしかにそれくらいはとれる草丈で、立派な出来です。去年も同じくらいだったが、今年はひどい干ばつで潅水に苦労したとのことでした。

 売上は一ムーあたり四百〜〜五百元(五千六百〜七千円)。自分の懐に入るのは二百元(二千八百円)ちょっと。トウモロコシ全部で純収入は三千元(四万二千円)。

 他に白菜やスイカも作っているので、いいときは総計八千元(十一万円)余り。これが四人で働いた年間収入です。

 「穀物の作付の割り当てはありますか?」

 「作付けは自由だ」

 「土地は国からいくらで借りていますか」

 「年千三百元。原則として一人二ムー。これは一ムー八十元で借りられる。それ以上借りたいときは一ムーあたり百元の借賃だ」

 礼を言って別れると四人はすぐに仕事をはじめた。

梨の対日輸出に大変意欲的

 莱陽市では市の農業担当者と中国共産党の書記が歓迎してくれました。ここでも対日輸出に非常に意欲的で、なんだか私たちがバイヤーに見られているような錯覚に陥るくらいでした。

 非常にショックだったのは、幹部の方が、「私は去年日本へ行ってきたが、日本には果物を作っている県は二つだけだった。だから、ここの梨を大いに日本に輸出したい」と言ったことでした。来日したとき、日本の商社関係の人たちはどういう説明をしたのでしょう? それにしても認識の違いがひどすぎるようです。

 しかも、商社の持ち込んだものでしょうか、日本の「豊水」という梨をテーブルに並べて試食してくれと大変自慢げでした。小竹節さんはみなに皮を剥いてサービスしていましたが、最後に、「こんな美味しくない豊水は日本にはない」と大きな声で言いましたが通訳はされなかったようでした。

 この後見学した試験場のビニールハウスの野菜を見ても、あまりいい出来のものは見られませんでした。

(新聞「農民」2000.11.13付)
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2000年11月

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