砂漠化の中国・黄土高原第4回 夏橋本紘二〈写真・文〉
黄土一色で不毛のような大地も、夏に来てみたら驚くかな、ジャガイモや油菜の花が咲き、作物の緑が一面を覆っていた。
過酷な環境で見事に育てる黄土高原の農民はエライのだ。この過酷な環境でも農民たちは見事に作物を育てていた。その偉大さに、まず感嘆させられた。だが、緑色に覆われているのは土の表面だけで、目を下のほうに移すと、畑は侵食がはげしかった。落盤し、深い谷がいく筋も刻まれており、崖にはポッカリと空いた穴がいたるところに出来ている。 春の、雨の欲しい時期にはほとんど降ってくれなかった雨も、この夏に集中して降る。しかもその雨も、一、二時間、スコールのように激しく降るというありがたくない降り方をする雨なのだ。 この五年、毎年黄土高原に来ているが、雨にはめったに出会うことはなかった。だが、九六年の夏、このにわか大雨に遭遇した。 突然、空が暗くなってきた。車の運転手は、畑で撮影していた私を大声で叫び呼んだ。車は急いで農道からコンクリートの国道に脱出し、逃げた。黄土は雨にあたるとグリース状になり、タイヤは滑って、車は動けなくなるのだ。車窓から見ると、畑の上をごうごうと勢いよく泥水が走り、落ちていた。 この激しい雨の降り方を見て、なぜ表土が流出し、深い侵食谷ができるのかが初めて納得できた。雨は、表土を流出させる量もすごいのだが、それだけでなく、土中に染み込んだ水が地盤の柔らかいところから吹き出て、穴を明ける。その穴から崩れだし、足元がすくわれるような畑はガサッと落盤し、深い侵食谷ができていくのだ。 農民たちは、この表土流出を「水土流出」と言う。肥やした耕土だけでなく、貴重な水も一気に流れ去っていく、という嘆きの言葉なのだ。
人々の暮しまで襲う大雨大同市を流れる桑干河(今年の夏は、ほとんど水は流れていなかったが)の水には一立万メートル当たり四十四キログラムの流されてきた黄土が含まれているという。山に森林があり、これほど山の上まで開墾し、耕地にしていなかったら、鉄砲水のような流出はしなかったであろう。 激しく降る雨も憎たらしいが、やはりそれは、環境を壊してしまった報いなのである。 このたまに降る大雨は、畑だけでなく、人々の暮らしまでも襲う。 九五年の夏、七月中旬から九月上旬にかけて四回の大雨が降り、土造りのヤオトンの家は天井や壁が崩れた。死者十名前後、崩壊した住居十五万七千八百九十二室、三万九千世帯が住む家がなくなるという大水害をもたらした。 (つづく)
(新聞「農民」2000.10.9付)
|
[2000年10月]
農民運動全国連合会(略称:農民連)
本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
〒173-0025
東京都板橋区熊野町47-11
社医研センター2階
TEL (03)5966-2224
Copyright(c)1998-2000, 農民運動全国連合会