「農民」記事データベース20000828-461-07

原水爆世界大会/「ピースジャム」

核廃絶 若い世代が受け継いで

農民連青年部 笠原 尚


原爆の傷跡

 核兵器のない二十一世紀をめざし、行動を呼びかける原水爆禁止世界大会が、八月四日から六日にかけて広島県広島市で開かれました。七千人の参加者が会場を埋め尽くし、核廃絶運動に取り組む海外の代表が十七カ国から参加。

 原爆の熱線で焼かれたやけどの傷跡が、ゴムのような堅さとなって残ったケロイドは暑い時期にはとてもかゆくなり、人目を避けて身体をかきむしる被爆者が今もたくさんいます。また爆風で打ち壊されたガラスの破片を浴びた被爆者の体内には、今でもたくさんのガラスの破片が残留しています。五十年以上たってようやくガラスの破片が皮膚を破って出てきたという人さえいます。

 精神的苦痛もひどく「目の前で亡くなる家族や友人を救えなかった」無念さ、「これからガンに侵されるかも知れない」恐れや、依然残る差別や偏見に苦しんでいます。

 悲痛な話に聞き入り、原爆の惨劇は今なお進行していることを痛感します。

世界が連帯

 海外代表は「核抑止による安全保障という意見が国際社会の中にあった。しかし今日では核兵器廃絶を明確に約束したNPT再検討会議の結論にアメリカなど核保有国も反対できず、一致して採決するなど、世論は劇的に広がっている」と連帯の挨拶を述べました。

 十二年間訴え続け原爆症認定を勝ち取った松谷英子さんが最高裁勝利判決を報告しました。また核兵器廃絶を求める「ヒロシマ・ナガサキアピール署名」の広がりも紹介されました。

 しかし、被爆者の高齢化が進み、核廃絶を訴える志半ばで亡くなった人は、この一年間で五〇二一人にのぼります。核兵器廃絶の取り組みを将来にわたってより大きくするために、僕たちが受け継がなければいけない、また身のまわりの仲間にも知ってもらいたい、と感じました。

 その一方で、核兵器を後ろ盾に、他国を威圧するというアメリカの核戦略は今なお、変更されていません。

 広島市から車で二時間、山口県岩国市には広大な米軍基地があります。そこには平然と核兵器が持ち込まれ、いざ戦争になれば、核兵器を配備し使用する核ミサイル発射基地になります。世界の世論は核廃絶を求めているのに、聞く耳持たず、核武装を続けるアメリカ政府と、世界唯一の被爆国である日本の政府が、こんな事態を野放しにしているということは、はらわたが煮えくり返る思いです。

青年の手で

 五日の夜は青年によるイベント、「ピース・ジャム」が開かれました。

 「平和の世界を願っている。そのために私も何かしたい」核兵器廃絶を訴えながら全国をツーリングする反核ライダー、沖縄嘉手納基地を囲んだ「人間の鎖」、学生の平和学習サークルなど、多くの青年が頑張っています。この青年の輪をさらに広げ、大きくしたい、と強く思いました。

 ピースジャムの最後にはYAC(ユース・アグリ・クラブ)の佐藤圭さんが登場。六月に参加した国連ミレニアムフォーラムの報告を兼ねて発言、「核兵器廃絶の取り組みを受け継いでいきたい。希望ある二十一世紀は私たち青年の手で切り開く」と訴えると、会場からは大歓声と拍手がわき起こりました。

 六日の閉会総会は、三日間のまとめを行いました。特に強調されたことは、世界の核兵器廃絶の世論が核固執勢力を追いつめるまでに広がっていること、その中で日本の核廃絶運動が世界を励ましていること、そして、若い世代がそれらを確実に受け継いでいることでした。「核保有国を世論で追いつめ、核兵器廃絶を緊急に実現するために力を合わせよう」と全体で確認して終わりました。

(新聞「農民」2000.8.28付)
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2000年8月

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