「農民」記事データベース20000807-459-06

30年間の労をねぎらう

前衆院議員 山原健二郎さん囲む集い


 「南(みんなみ)の熱き炎いつまでも」――日本共産党衆議院議員として、三十年六カ月にわたって活躍されてきた山原健二郎さんの労をねぎらう集いが、七月二十五日に東京都内で開かれました。教員組合や学者、国会関係者など各界から約百五十人が参加しました。農民連からは小林節夫代表常任委員はじめ五人が参加しました。

 集いでは、各界からの発言に続いて、山原さんの国会活動を紹介したビデオが披露されました。

 その冒頭は、九三年十二月七日、衆院予算委員会で、細川内閣の米自由化受け入れの密約を、満身の怒りを込め、舌鋒鋭く追及したシーン。

 普段は、温厚そのものの山原さんの怒りみなぎる追及に、会場はどよめきました。

 「私はまだ現役だから、『ご苦労さん』と言われるのが、どうも苦手で……」と言いながら挨拶に立った山原さん。

 「土佐には、鎧や胄を槍の柄にくくりつけて田の畦に立てておき、普段は百姓をしていて、ひとたび戦になると、この槍を持って馳せ参じる『地下侍(じげざむらい)』という下級武士がいました。この地下侍たちが、あの明治維新の原動力になりました。私の国会活動は、この泥臭い地下侍の伝統を継いだものでありましたし、これからも地下侍であり続けたい」――。

 議員を退いても、ますます意気軒昂です。「寒椿胸に一輪地下侍」「四万十の霏々たる雪の秋水忌」などとしたためられた、一枚一枚手書きの色紙が参加者全員にプレゼントされ、ひときわ大きな感動を呼びました。

*  *  *

 山原さんは新聞「農民」の前身の「農民連新聞」に九〇年十月五日から九三年六月二十五日まで、二年八カ月にわたって「農をうたう」を連載。農民連第五回大会で感謝状を送られたとき「私はレッドパージなどで、弾圧をしょっちゅう受けてきたが、表彰状をもらうのは生まれてはじめてのこと。百数十字に宇宙を閉じ込めるのは、なかなか骨が折れる仕事ですが、農民連からの“表彰”は大変名誉なことです」と語ってくれました。

(新聞「農民」2000.8.7付)
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2000年8月

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