「農民」記事データベース20000703-455-01

“わたし農業一年生です”

笑顔と希望がいっぱいの22歳、安田弥生さん

 「農業を始めて、本当に生き甲斐のある道にたどり着いたなって思うんです」――いきいきと語る安田弥生さん、二十二歳。今年三月から新規就農したばかり、なりたてホヤホヤの“農民”一年生です。大きな瞳を輝かせて「私も“農民”だって友達に自慢してるんです」と笑顔が誇らしげです。東京都に近い神奈川県城山町、宅地化が進みつつもまだ緑豊かなこの畑作地域に、「風の畑」と名付けた弥生さんの農場があります。
(満川)


収穫したらお母さんの直売店で

 六月上旬、畑は弥生さんの植えた野菜が育ち盛り。男爵イモ、赤ジャガイモ、長ネギ、レタス、トウモロコシ、トマトなど、二十品目あまりを少しずつ。すみっこに一列ヒマワリを育てる遊び心も忘れません。これから大豆も作り味噌作りにも挑戦する予定。「なるべく無農薬で、循環型の農業をやりたいと思っています。でもまだまだ技術も知識もないし、もっと勉強して…」と弥生さん。畑は、五カ所に分かれて五反五畝(五十五アール)、神奈川県の改良普及センターを通じて借りることができました。

 弥生さんの自宅は軽トラで十五分ほど走った東京都八王子市にあり、JR高尾駅前でお母さんの静子さん(51)が経営する生花店兼食堂の三カ所を、行ったり来たりしての通勤農業です。本格的にはまだ始まっていませんが、いずれ収穫した野菜はこのお母さんのお店で直売・使用するほか、地場産野菜の宅配グループに出荷する予定です。

汗して働くことの素晴らしさ

 農家の生まれでない弥生さんが農業を志したのは、家政コースの高校生だった時。生まれたときから共に家族として育ってきた人に精神的なハンディキャップがあったことから、福祉に興味をもったこともあったと言います。そんなとき「生産するだけじゃなくて、ハンディのある人も、ない人も、農業に興味のある人みんなが自然に集まれるような農場ができたらいいね」という静子さんの一言が出発点となって就農の準備を進めてきました。

 高校を卒業した弥生さんは「八ケ岳中央農業実践学校(農業大学校)」に入学し、野菜と生花を専攻。毎日の農作業を通して「この学校で農業の楽しさ、すばらしさを学んだことが、生き方の別れ道でした。汗して働くことが大好きという素敵な仲間にも出会えました」と弥生さんは言います。卒業後、一年半スイスの野菜農家に研修に行き技術と経営を学んできました。

 弥生さんがスイスで研修している間に、静子さんは就農する農地を捜して東京都に相談。しかし対応は冷淡でした。親身になって全面的なバックアップをしてくれたのが神奈川県の農業改良普及センターでした。

 小さな花畑を作り、東京農民連の会員でもある静子さんは「就農が実現して夢のようです。いまは命の存在がつかみにくい世の中ですけど、農業は命につながるもの、これで世の中変えられると思うんです」と話します。

応援してくれる人が次つぎと

 弥生さんを受け入れて技術を教え、助力を惜しまない周囲の農家。農地の紹介や周囲の協力まで取り付け、今も週三回畑に様子を見に来る改良普及センターの職員。入れかわり立ちかわり援農に来てくれる農業大学校時代の友人たち。そして毎日畑に通って技術を教える地主のお爺さん。弥生さんは「就農が実現したのは、本当にたくさんの人に助けていただいているからなんです」と言います。

 「三年後には軌道に乗るように…。ここの野菜が欲しいのよと言われるような、顔の見える農業をしていきたい」「手伝いに来てくれる福祉施設の方にお給料が出せるように」というのも弥生さんらしい願いです。「動物は行動範囲のものしか食べないのに、人間は外国から輸入して、国内の農業が続けられないというのは切ないと思います。命とは何か、原点に戻って考えてみると、食べ物や農業の大切さを思うんです」。

 初めて植えた作物のジャガイモを掘りながら弥生さんは言います。「農業後継者の友人は“そんな農業は夢だ”と言うけれど、でも私は夢でもやってみればできると思うんです」。

(新聞「農民」2000.7.3付)
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2000年7月

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