「農民」記事データベース20000529-450-03

今、なぜ市場出荷か

―「多様な流通を共同で探求しよう」への疑問に答える―

農民運動全国連合会代表常任委員 小林節夫


 新聞「農民」(四月十七日付)に掲載された「農業と関連産業の危機にあたって、多様な流通を共同で探究しよう」という農民連・産直協の方針に対し「さんざん市場出荷でひどい目にあって産直を始めたのに、なぜいまさら市場出荷に戻るんだ?」「時期尚早ではないか」という質問が寄せられました。

 この方針は二年前(一九九八年四月)に発表された「流通の変化に対応した多様な産直の探究を」(雑誌『農民』No.47掲載)という農民連・産直協の方針を実践しながら総括し、組織として検討してきたものですが、完全無欠というわけにもいかないのは当然です。

 さまざまな意見を討議もしないで、そのままにしておくということでは運動は発展しませんし、討論は大変大事です。この方針の理解に役立つことを願い、これらの意見に含まれている幾つかの問題点について考えてみます。

論議の前提

(1)産直を軽視せよとは言っていない

 新婦人や生協などとの従来の産直を減らして市場出荷をすべきだとか、産直をやめて市場出荷に変えると言っているわけではありません。むしろ新婦人産直で行われている交流や学習・懇談などはもっと広く普及すべきですし、そういう立場は市場出荷の場合でも重要だと強調しています。

(2)「市場でこりたから、産直を始めたのに」という主張は一面的

 日本の産直はどのようにして成長・発展してきたのでしょうか。大局的にみれば、カネミ油症事件や森永砒素中毒事件、さらには幾多の公害事件を通じて、国民的・市民的な要求と世論が盛り上がるなかで、消費者の側から「安全な食べ物を」という要求や運動が盛り上がった――これが歴史的事実です。

 この運動と、農薬や化学肥料を多く使うことに対する自己検討をした先進的な農民の努力が結びついて「産直」が盛り上がり、高度経済成長のころから生協が急成長するようになったのも歴史的事実です。

 同時に、農産物輸入自由化を前提にした市場の買いたたきなどに対して、農民が産直を模索したのも、それまでの農民運動にはなかった独自の運動でした。

 このように、消費者と農民の両方の要求と運動が結びついて、産直という運動と事業が大きくなってきたと言えるでしょう。

 こういう歴史的経過があればこそ、先の国際シンポジウムでヨーロッパのNGOの幹部アントニオ・オノラティ氏が感嘆したほどの産直運動や食健連運動(国民の食糧と健康を守る運動)が生まれたといっていいでしょう。そして、労働運動が農民運動とともに食健連運動を推進してきたのも、日本独特の現象でした。

 こういう一連の歴史的経過を踏まえて産直を考えるとき、広範な国民的合意を損なわないためにも、「市場出荷でひどい目にあったから」という農民の側だけの都合で産直ができてきたのではないことを銘記したいものです。

(3)生活圏(ライフエリア)を守る運動という方針が市場出荷の基本にある

 二年前の方針で、京都市壬生(みぶ)の西新道錦会商店街の生活圏(ライフ・エリア)を守る運動を紹介し、その視点から農畜産物の流通を考えることを提起しました。

 それは、単に同商店街の実践に学んだだけでなく、それに先立って、卸売市場や八百屋さんや個人スーパーの経営者などとの懇談・交流のなかで実感されたもので、九八年農民連大会でも市場出荷問題の取り組みを提起しています。

 このライフ・エリアを守る視点は「どのようにしたら生産物が小売や個人スーパーに届いて彼らの営業が成り立ち、消費者に新鮮で安全な農畜産物が届くか」という課題への挑戦に発展しました。それを市場出荷へと具体化したのは「上尾市場」の実践でした。

 もともと農民連は、市場を否定して産直を推進してきたわけではありません。どんなに産直を強調したときでも「市場は人類の英知の産物だ」ということを了承しあい、価格の乱高下(買いたたきすらあった!)があるとしても、価格が需要・供給によって決まり、それによる生産の調整という側面や大量の農産物を流通にのせるという市場の意義を否定したことはありませんでした。

論文の焦点について

―なぜ、市場出荷を運動のなかに据えたか―

(1)流通の激変を直視する

 論文は、多国籍企業や大商社、大量販店がWTO協定のもとで、二十一世紀の食料問題や日本の食料自給率などはそっちのけで、農畜産物の輸入・開発輸入に狂奔している事実を重大視しています。

 (1)WTO協定受け入れ表明以後、野菜輸入の激増ぶりは異常です。輸入先はアメリカが第一位ですが、それに劣らず中国が急上昇していることが特徴です。

 また、北半球でできない時期のものでも、東南アジアや中南米、大洋州などから、特に途上国の低賃金を利用して農産物が輸入されています。多国籍企業・大商社が大きな役割を果たしていることは言うまでもありません。

 これらのことはけっして一過性の現象ではなく、明らかに新たな段階に入りつつあること、国内に十分生産があっても外国に作らせて輸入することによってだぶつき、国内産が大打撃を受けていることを「論文」は強調しています。

 これらの現実や情勢を、知識としてでなく、日本農業の現実をどうするかという変革の立場、行動する立場で考えたいと思います。

 (2)政府は卸売市場法を改悪して、セリを原則とせず「相対取引」を原則にしてしまいました。また規制緩和で量販店・大型店が全国に氾濫して、地域の八百屋さんはどんどん姿を消しています。小売商がなくなれば量販店・大型店以外に買ってくれるところがありません。そうなると、卸が量販店の言いなりにならないと「それなら、輸入農産物で間に合わせるから要らない」と買いたたくでしょう。

 (3)地域の人々が食料品を買う八百屋さんや個人スーパーがなくなれば、その地域・商店街がさびれます。毎日の買い物、とくに食料品の買い物ができる場があることは、生活圏の存立の第一条件です。シャッター通りが増えることは生活圏の破壊であり、流通問題を考えるとき避けて通るわけには行きません。

 (4)量販店・大型店が流通を支配し、卸売市場が量販店の中継基地になれば、農協がどんなに「大型合併して大量に荷をもっているから販売に強い」と誇っても、常に輸入農畜産物と天秤にかけられ、買いたたきに会うことは必至です。

 (5)さらに政府は卸売市場の「整備」と称して市場手数料の自由化を検討しており、卸売業界からは「これは直撃弾だ」「不意打ちだ」という声が上がっています。

 「これでは多くの卸は経営が破綻する」という声の通り、卸売会社の振るい落としが始まるでしょうし、それは卸売市場再編へと発展するでしょう。そればかりか、卸がなくなったときには市場外資本がこれを放っておかないで、自治体が作った市場を乗っ取ることすら考えられます。

(2)水田減反政策と転作に苦悩する農民

 価格保障が次々になくなるなかで「余った米はエサ用に回す」という制度がいっそう横行し、「それがいやなら減反しろ」と減反が強化されることは必至です。

 減反して何を作るかと、多くの稲作農民は苦悩しています。水田の四割近くにのぼる広大な減反田に作る農産物は産直だけで売りさばけるものではなく、こういう大量の生産物を販売する点から見ても、市場への出荷は非常に大きな意味をもっています。

 専業農家だけでなく、兼業農家も視野に入れ、お互いに助け合ってこそ、稲作でも野菜でも果樹でも二十一世紀に生きて行けるのではないでしょうか?

 「地域農業や日本の農業のことなど知るものか」という“商売上手な産直おじさん、産直青年”で満足するなら、農民運動とはしょせん無縁な存在でしかないでしょう。

(3)農業関連産業との共同

 (1)(2)で述べたような情勢から、農民連・産直協がめざす「新しい市場出荷」への共感が広がり、また、実際に取り組みが始まるなかで、農民連・産直協の中ではもちろん、卸売市場の側にも共同の条件が生まれてきました。

 こういう共同の条件や可能性が生まれていることを「上尾」など実践や懇談のなかで確認できたので、日本の農業や流通を守り、生活圏を守ろうと発表したのが今度の「論文」でした。

(4)手放しで「新しい市場出荷」を美化しているのではない

 これまでの市場出荷の経験は「論文」で述べた通りですが、これらがすべて順風満帆というのではありません。また農民連・産直協は「市場の買いたたきがなくなったから出荷しよう」と提起しているのでもありません。

 大事なのは、農民と市場双方が共同で真面目に探究しようという姿勢です。運動や変革の視点、組織として取り組んで切り開こうというのが私たちの立場です。

 論文は、この数年の農民連・産直協の取り組みや「上尾」をはじめとする市場出荷の発展の萌芽に光を当て、可能性を証明したものです。「安くて大変だ」「開発輸入はけしからん」というだけでは現状を解釈しただけです。「共同で探究」しようとせず、市場出荷がうまくいったら自分も出荷しようというのなら、世の成り行きまかせで、農民運動ではありません。

 市場にしても同じです。こういう情勢にもかかわらず、農民連・産直協がこんなに一生懸命に話しかけても、これまでの商売の延長線上でしか考えない市場なら、無理をして出荷することもないでしょう。ただ、その前に「論文」で強調しているように、粘り強い取り組みや丁寧な懇談など、これまでの実践に謙虚に学びたいものです。

(5)作る仲間を増やすこと、いまある生産組織や仲間との連携

 多くの人が諦めかけているとき、いま現に作っている人々や組織に「まず作ろう」と呼びかけましょう。

 まだ組織が小さい場合でも、地域や身の周りを見ましょう。自家用野菜すら買っている農家が少なくありません。まして、その地域でできるものさえ作っていないのが現状です。「作っても売れない」という前に、仲間と一緒に直売所を作ったり、農協の敷地の一角でも借りて売る工夫をしてみませんか。地域の学校や保育園、病院の給食など、地域の産直の経験は全国に無数にあります。

 それは小さいように見えても、そこだけで終わる問題ではなく、市場出荷につながる問題です。売れたことが目に見えないと、お互い疑り深い農民ですから“遠大な”市場出荷や全国ネットなど信用しない場合も少なくありません。組織によって市場出荷など考えられもしない場合もあるでしょう。でも、一つ一つ実際に手がけ、体験し、同時に、二十一世紀の食料・農業を語り、学習する以外にないでしょう。

 頭の中だけで考えたり、狭い地域でしか見なかったり、狭い問題意識にとらわれっ放しという状態から脱却すれば、いずれ大きな取り組みになったり、飛躍が生まれるでしょう。

(6)全国ネットワークをめざして

 各地の生産組織がバラバラだったころは、経済連がやったように産地間競争がはやりました。しかし、農民連・産直協は産地間競争ではなく、産地間の共同を呼びかけています。それは血のにじむような数多くの実践に裏付けられた結論です。「論文」でその中身をもう一度検討してみてください。

(新聞「農民」2000.5.29付)
ライン

2000年5月

農民運動全国連合会(略称:農民連)
〒173-0025
東京都板橋区熊野町47-11
社医研センター2階
TEL (03)5966-2224

本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
Copyright(c)1998-2000, 農民運動全国連合会