「すずき産地」の八細工七貧乏北茨城市から 鈴木孝夫
若い息子夫婦がUターンして…ヒヨコ数十羽からスタート私が郷里の北茨城市にUターンしたのは、初めての子どもが誕生したとき。土の上で子育てをしたいと願ったことも動機でした。その子も今年高校生、丸十五年が経ちました。当時、まだ両親は五十歳代、現役バリバリでした。そこへ二十歳代の息子夫婦が入り込んで、さていったい…。田んぼ一ヘクタール程度の農家で、母はパート勤務。そんな中、田んぼ仕事の手伝いのかたわら取りかかったのが、平飼いによる採卵養鶏です。
平飼い養鶏から「自然卵養鶏法」(農文協刊)という本が教科書。予備知識がなくても、玉子で食べていけるようになる、いわば業界のバイブルのような一冊です。親の反対を押し切って、廃材を使って自分で鶏舎を建てました。ヒヨコ数十羽からのスタートでした。半年後、できはじめた玉子の販路開拓が課題に。宣伝のチラシを手作りして、玉子を二個ずつ見本として一軒一軒、訪ねてまわって、食べてみて気に入っていただけたら毎週配達しますと。 玄関の前に立ってピンポーンとボタンを押すのは、なかなかに勇気がいるもの。 「作ることはできても、売ることができないのが農家なんだけど」と母が感心していたことを思い出します。自宅そばの団地など千軒近くはまわりました。
得意先も広がって現在、市内だけでも数十軒、決まった消費者に毎週、玉子を配達しています。後には口コミでも広がってきましたが、チラシをみて電話をくれて、それから十数年来のお得意さんも少なくありません。野菜も積み、また注文があれば米も届けています。
農家の後継者がいないことが問題になります。愚かな農政が元凶ですが、同時に、個々の経営のなかで、後継者のアイデンティティーを見いだしにくいというのは決して小さくない問題だと思います。若い世代が親の言いなりになって、そのうえ儲かりもしない仕事なんて誰だってやりたくありません。逆に、たとえ損をしようとも、自分が主体的に関わっていけるならば意欲はわいてくるはずです。農家経営における親と子、両者の意欲を生かせる役割分担のあり方は、考えていい問題だと思います。
(新聞「農民」2000.4.17付)
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[2000年4月]
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