核廃絶誓い合う「三・一ビキニデー」46周年静岡・焼津
被爆四十六周年「三・一ビキニデー」が三月一日、静岡県焼津市で開催されました。 「三・一ビキニデー」は、一九五四年三月一日、アメリカが太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を強行。公海で操業中の焼津市のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴び、乗組員二十三人全員が「急性放射能症」にかかり入院、半年後に無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました(当時四十歳)。 久保山さんの最後の言葉「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」を無にしないために、毎年三月一日を「三・一ビキニデー」として、焼津市の久保山さんの墓前で核廃絶を誓い合う全国集会が開かれるようになりました。 今年のビキニデーには千数百人が参加しましたが、藤枝市農民組合専従者の鈴木宏子さんが、久保山愛吉さんの遺影を胸に献花墓参行進の先頭に立ちました。 ビキニ被災を契機に原水爆禁止の署名運動が全国にまきおこり、三千四百万に達し、これを基礎に一九五五年八月に第一回原水爆禁止世界大会が開かれ、現在に受け継がれています。 (静岡県農民連 清水紀夫)
(新聞「農民」2000.3.13付)
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[2000年3月]
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