“宿場町の賑わいを…”が願い木曽・妻篭宿に伝統工芸の灯受け継ぐふるさとにUターンして曲げ物細工の職人に/伊藤龍太さん(26歳)暮れなずむ木曽谷の夕暮れ。囲炉裏の鉄瓶からあがる細い湯気……薪のはぜる音……。晩秋のある日、長野県南木曽町の妻篭宿を訪ねました。『丸太屋』という土産物屋の奥、桧(ひのき)の香りがただよう囲炉裏ばたで、若い職人が黙々と桧細工を作っていました。職人さんの名前は、伊藤龍太さん、二十六歳。桧や椹(さわら)を使って弁当箱やめんぱをつくる「曲げ物師」です。江戸時代の宿場町の町並みを残すこの古い町にも、伝統を受け継ぐ若い息吹が、しっかりと息づいていました。
豊かな森と水が産み出す木工芸中仙道妻篭宿は、訪れる旅人がふとタイムスリップするような、古い宿場のおもかげを残す町です。旅篭、民家、格子窓、うだつ、水車などが、人が住み続けながらしっとりと保存されています。それは住民自身がこの町並みを保存しようと統制委員会をつくり、行政とともに息の長い運動をしてきたたまものなのです。周囲の木曽谷の森は、伊勢湾から流れ込む適度な湿気を帯びた空気と、豊かな水に恵まれて桧や椹、あすなろなどの木曽五木がうっそうと生い茂り、木曽は昔から最高の木材の産地として知られてきました。そして木曽の人々は、その良質な木材を生かして、曲げ物や桶、ろくろ細工、漆器などの木工工芸の技を長く伝えてきました。
伝統の技も深刻な後継者難で…ところがその伝統の技がいま、途絶えようとしています。職人の高齢化と後継者難が深刻なのです。龍太さんは、そんなところへ曲げ物職人を目指して故郷に戻ってきました。「こういう仕事は木曽の特産だから。守っていきたかった」と言葉少なく、けれどしっかりと語る龍太さん。「木工芸のお土産屋に生まれて、木曽の森に囲まれて育って、なじんでいるのも大きいです」と話します。龍太さんのご両親は妻篭宿で長く木工芸の土産物店『あぶらや』を営み、十一月に結成された木曽農民センターの会員でもあります。お母さんの君枝さんは言います。「昔は宿場町には木工芸や下駄屋、傘屋と生活に必要なものは何でもありました。でも今は作って売るところがなくなってしまって。妻篭にそういう店ができるのが夢でした」。その思いはいま、しっかりと受け継がれています。
一念発起して曲げ物の修業にそんな龍太さんも、高校卒業後は東京の調理師学校に進学し、中華料理のコックさんをしていたこともありました。「同級生たちも皆都会に出ていきました。値段が安くて林業も木材もダメ、他には土産物屋か公務員ぐらいしかなくて、妻篭で暮らしたくても職がないんです」と龍太さんは言います。しかし龍太さんは二十二歳の時に一念発起、ふるさとに戻る決心をしました。「一人前の職人になれるんだろうか。売れんかったらどうしよう」そんな不安を抱きつつも。以来、長野県の養成訓練所、岐阜県付地(つけち)の親方に弟子入りと修行を重ね、二年前からこの『丸太屋』を開店。ときどき親方の所に通いながら曲げ物の修行を続けています。そばセイロを会得して、いまは七寸セイロの修行中です。 しかし、曲げ物というのは簡単にはできません。桧を、剥ぎやすく伸びのよい性質を生かして曲げて、桜の皮で縫い止めて輪を作ります。さらにご飯を詰めるめんばには水はけのよい椹の板をはめたり、セイロにはスノコを渡したりと細工するのです。もっとも作りやすいそばセイロでも一日十個ほどしか作れません。まさに山国の知恵がつまった伝統の技術なのです。
山が荒廃するのが心配で…しかし手の込んだ手作りだけに、その使い勝手は現代生活でも、お客さんいわく「最高」です。ご飯を詰めればベタつかず、夏でも常温で保存でき、しかも丈夫で長持ち。手入れも簡単。「一度使ったお客さんが良かったから次も買っていってくれることも多いです。そういう時が一番うれしいです」と恥ずかしそうに顔をほころばせました。もっかの人気商品は、電子レンジにそのままかけられるおひつ。龍太さんは「いまは生活も変わってきているから、それにあった物を工夫して作っていきたい」と意欲を語ります。曲げ物を縫い止める桜の皮も、龍太さんが自分で山に採りに行きます。が、細工に向く節のない若い山桜は、なかなか見つからないとのこと。山の荒廃がすすむ今では、桜を植える林家も減っているのです。「桜は細工物に大切な木で、昔は毎年若い皮がとれるように少しずつ植えていたようです。桜が無いということは、それだけ木工が減っているということかもしれません」と龍太さん。 これからも「頑丈でしっかりした物を作れるように、それに難しい技術を使うめんぱや大きなセイロも作れるようになりたい」と抱負を語る龍太さん。話しながらも手はセイロを作りつづけていました。 良く晴れた翌朝、妻篭の通りは大型バスで到着した観光客で大賑わい。丸太屋でも「わぁこれ素敵」「木っていい匂いする」とお客さんが買い物中。その奥で、龍太さんは今日も曲げ物を作っています。焦らず、怠けず、淡々と腕を磨く――龍太さんの“もの作り”の生き方です。
(満川暁代/新聞「農民」2000.1.17付)
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[2000年1月]
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