「農民」記事データベース20000117-434-01

新聞「農民」拡大目標達成/意気上がる田川農民センター

地場特産品「だだちゃ豆」産直で組織もグーンと伸ばした

「今年はもっと生産増やそう」/山形

 北に鳥海山を望む日本有数の水田地帯、山形・庄内平野。枝豆の在来品種「だだちゃ豆」のふるさとです。「国の減反政策に負けないで、大いにものをつくろう」と「だだちゃ豆」の産直にとりくんできた庄内産直センターと田川農民センターは、昨年十二月十九日、自ら決めた新聞「農民」の拡大目標を見事やり遂げ、農民センター五周年・産直センター十周年の祝賀会を開きました。農民センターは発足当時の百十三人から三百四十人余。産直センターは十八人から八十人余、供給高で一億数千万円に。時にはきびしい逆風に立ち向かい、「ものを作ってこそ農民」「仲間づくりが運動の基本」の旗を高く掲げての前進でした。


「ピンチ」を「チャンス」に変えて

 「だだちゃ豆」の産直は、「ピンチをチャンスにかえる」試行錯誤の連続でした。その積み重ねで昨年、首都圏の三市場に出荷し、高い評価を獲得。販売額も初めて一千万円を超え、今年はさらに三倍(三十トン)にしようと意気込んでいます。「ピンチはチャンス。チャンスは大チャンス」。九六年から四年間で販売数量を五倍に発展させた「だだちゃ豆」産直を、佐藤光雄・庄内産直センター専務理事はこう振り返ります。

 産直の始まりは、市内の土産物屋から欲しいと話が持ち込まれたことから。「とても無理」という栽培農家と、「これは突破口になる。受けて立とう。組合員を増やせば何とかなる」と話し合い、八人の組合員を拡大して要望に応えました。

苦労が実って市場も太鼓判

 九八年には、栽培面積を拡大する上で最大のネックになっていた苗の「定植機」をメーカーと共同開発し購入(五割補助)。ところが、その矢先、主たる取引先だった土産物屋から突然取引停止を宣告されます。「ここから、みんなで販路をつくろうと一丸となったとりくみが始まった」と佐藤専務。

 「考えられるすべての手を尽くし、市場出荷や冷凍枝豆にもとりくんだ」。しかし、埼玉・上尾市場からは、荷姿が悪く鮮度が保持されないとやんわり断られ、冷凍枝豆も売り物になりませんでした。

 そして九九年、前年の失敗は、この年の飛躍に実を結びます。市場には、選別、予冷をしっかりやり、発泡スチロール箱を使って鮮度を保ったまま出荷。産直センターの総会で講演した築地・マル果青果の佐藤武夫課長は、「来年はこのままの品質で三倍欲しい。三割程度を最初に値決めする委託販売方式にしてもいい」と太鼓判を押しました。

消費者からの励ましの便り

 昨夏、こうした努力を続けていた産直センターに、「だだちゃ豆」を食べた消費者から葉書きが届きました。「スーパーで購入し、ゆでて食べたところ甘くておいしい。うれしくて喜びを書きました」というもの。

 「こういうことが本当に励みになるんだよなあ」と言うのは、仲間から“豆仙人”と呼ばれている、「だだちゃ豆」一筋の三浦順蔵さん(65)、幸子さん(64)。七十アール作る三浦さんは、収穫期には夜二時から起きて作業をします。トウガラシの煮汁で害虫駆除するなど、ほとんど無農薬の三浦さんの枝豆は、「味がいい」と地元でも評判です。

 「ものを作るのが大好き」な白幡研一さん(72)、朝子さん夫妻は、昨年、「だだちゃ豆」の後作でダイコン葉と春菊をつくり、産直センターがとりくむ生協の「地場野菜コーナー」に出荷。「思ったよりお金になった」と言います。センターでは前作・後作で野菜づくりを奨励、農家の所得確保と地場生産の拡大、それに連作障害の回避にとりくんでいます。


 だだちゃ豆 古くから農家が、その年の収穫物の中から翌年播く種を採り、作り続けてきた庄内地方の在来品種です。「だだちゃ」とは、この地方の方言で、「おやじ」という意味。ユニークな名前は昔、献上された枝豆を食べた殿様が、あまりのおいしさに「どこのだだちやが作った枝豆か」と訊ねたことが由来とか。茶色の産毛と豆のくびれ、それに「一度食べたら絶対にファンになる」濃厚な甘味と香ばしさが特徴。地元の産地化の努力と減反田での作付が広がったことで、近年、全国的にもメジャーになりました。

(二瓶康一/新聞「農民」2000.1.17付)
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2000年1月

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