佐倉惣五郎まつる寺に
農地解放の記念碑
千葉・成田
宗吾の霊に応え農地を守ろう
千葉県成田市の宗吾霊堂は、江戸時代、佐倉城下の農民の窮状を救った義民・佐倉惣五郎(宗吾)をまつる寺で、今も全国から参詣者が絶えません。その境内に「農地解放の記念碑がある」と教えてくれたのは、全国革新懇代表世話人で教育家の三上満さん。地元の農民連会員が、さっそく三上さんと見学に出かけました。
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その碑は境内に入ってすぐ、惣五郎の墓の並びにありました。1949年に建てられた石碑は高さ3メートルはあろうかという大きなもので、正面には「宗吾の霊に応えた 昭和農地改革」の文字が、背面には「農地改革功労者」として、当時の印旛郡内全町村の首長や農地委員(現在の農業委員)の名前がびっしりと刻まれています。印旛郡内で1万3000町歩の農地が解放され、1万8000戸の自作農が創設されたことを伝えます。
「寄生地主制が崩壊し、耕作者主義が確立した戦後の農地制度の出発点です。この碑の大きさに、当時の農民たちの歓びが表れていると思います」と三上さん。佐倉市の戸村庄治さんは「こんな碑があるとは知らなかった」と驚きながらも、「『自分の土地を耕したい』と願った農民の気持ちがこもっている」と、感心したようすで碑を見上げました。
それだけに農地法改悪の動きには黙っていられません。
「政府は耕作放棄地をやり玉に挙げるが、採算が合わないから放棄されている。その責任を考えてほしい」(酒々井町の岩澤正さん)、「時給179円でも、田は荒らせないから、外の稼ぎをつぎ込んでなんとか続けているのが現実」(戸村さん)、「多くの農家がギリギリの努力で農地を守っている。利潤第一の考え方ではできないこと」(成田市の小倉毅さん、県連事務局長)と、耕作放棄の責任を農家に転嫁する議論に怒りが吹き出します。三上さんも「そうやってがんばっている人たちを支える方向に農政を変えなければいけませんね」と応じます。
また、「農家はたとえ田を貸して勤めに出ても、水路の掃除や草刈りには参加する。そういうムラのつながりが生きているから大規模農家もやっていける。効率だけ考える企業が参入すれば、農村社会は破壊される」(岩澤さん)と、大企業の参入に門戸を開くことの危険も指摘されました。
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農地解放の記念碑の前で語りあった(左から)三上さん、小倉さん、石井さん、岩澤さん、戸村さん |
かつて成田空港用地の開拓農家で、反対闘争をたたかった石井幸次さん(酒々井町在住)は、「惣五郎の墓前でこういう話し合いができたことはとても意義深い」と、感慨を込めて語ります。この日集まったみなさんは、「宗吾の霊に応えて農地法改悪をやめさせよう」と誓いあいました。
(新聞「農民」2009.4.27付)
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