「農民」記事データベース20070122-764-10

韓国

東学農民革命戦跡を訪ねて 》下《


日韓共同調査で深い信頼

人権と平等、平和は東学の思想

 私たちは、ソウルから高速鉄道で湖南線を南下、終着駅の木浦(モッポ)で下車し、南端の島、珍島(チンド)へ。ここは、演歌歌手、天童よしみさんの歌「珍島物語」や、李舜臣の水軍が鳴梁海峡で豊臣軍を打ち破った故地として有名ですが、東学農民軍の抗日闘争では、日本軍の徹底的な討伐作戦によって、約五万人といわれた「残党」が皆殺しにされた最後の地です。これは、近代日本軍隊がアジア民衆に行った最初の大量虐殺(ジェノサイド)とも言われています。

 北大の一室から…

 一九九五年、北海道大学文学部の一室から、東学農民軍指導者の頭がい骨六体が発見されるという衝撃的な事件がありました。頭がい骨は、札幌農学校(北海道大学の前身)出身の農業技師、佐藤政次郎が「採集」したもの。大学関係者は、これを機に留学した朴孟洙さんらと協力して徹底的に調査し、相互の信頼と協力を勝ち取りました。こうしたつながりが今回の市民レベルの旅行へと発展したのでした。

 東学農民軍の名誉回復を求める運動の中で、多くの記念碑や記念館、歴史公園などが整備されています。一八九四年、全〓(※)準を総大将に東学農民軍が最初に大衆的に蜂起した古阜(コブ)には、地元の人たちが建てた「無名東学農民軍慰霊塔」があります。見上げるような高い塔ではなく、誰もが抱きしめられる塔で、刻まれているのは顔であったり、「福」と刻んだ茶わんであったり…。このときの蜂起は、地方役人があらたな水源を建設して重税を取り立てたからでした。そして二度目は、王宮占領など日本軍の侵略に国の独立をかけて立ち向かったのです。

 なお、日本軍は「東学党討伐隊」の役割を後備十九大隊に担わせましたが、その主力は四国の農民、しかも年長者(三十歳前後)が応召されたため、留守家族は「赤貧洗うが如き」状況に落とし込まれたといいます。

 まだ深い憎しみが

 私たちは、中塚明さんや朴孟洙さんの案内で、東学農民軍が日本軍や朝鮮政府軍とたたかった黄土峠や大屯山の戦跡地、全〓(※)準の住居跡などを訪れました。一日の終わりに、ホテルのレストランで朴孟洙さんを囲んで話を聞いていたところ、近くにいた一人の韓国人が、私たちに向かってなにか大声で怒鳴っていました。あとで聞いた話では、「独島(竹島)はだれのものだと思っているんだ!」と叫んだそうです。

 このように、韓国の人たちの中には、日本に対する深い憎しみがあることも確かです。しかし大事なことは、憎しみをあおり立てるのではなく、こうした旅行を通じてお互いに交流を深め、過去から学び未来につなげること。北東アジアが互いに共有できる価値、それは東学の思想につながる人権と平等、平和―を求めていかなければならないことだと強く思いました。

(おわり)

※〓は、「王」+「奉」。

(新聞「農民」2007.1.22付)
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2007年1月

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