「農民」記事データベース20070115-763-01

「かながわ産直九条の会」発足

食も農も産直も平和でこそ

戦争を止める大きな力に

 食と農にかかわる九条の会の結成が各地で広がっています。神奈川県では、「かながわ産直九条の会」が二〇〇六年十二月十五日、海老名市で発足しました。搾りたての牛乳、小田原のミカン、ニシンの昆布巻き、静岡の無農薬茶など、産直品を囲んでの集い。三十人の参加者は「食も農も産直も平和でこそ」の思いを新たにしていました。


 “自分も何かしなければ”と…

 「九条の会」結成に大きく貢献した金子不二子さん(生産者と消費者が手をつなぐ会前代表)は、自らが住む藤沢市でも「ふじさわ・九条の会」に参加しています。「産直にはいろいろな人がかかわっています。また産直でなければ参加できない人もいます。九条の会はどこにあっても、いくつあってもよい」

 金子さんは八月、広島での原水禁世界大会に参加。「自分も何かしなければ」と、九条の会結成を思い立ったといいます。「『輸入農産物でなく、環境と農業を守り、国産の安全な食料を日本人の手に取り戻す』が産直運動の原点。戦争は、最大の環境破壊であり、農業破壊。農業を守り、国産農産物を食べることが戦争反対につながるのです」

 自らの戦争体験ふりかえって…

 発足の集いで、記念講演したのは、農民組合神奈川県連合会前会長の諏訪部明さん(84)。発足当日の十五日は、折しも教育基本法改悪法が成立した日です。「戦いと抑留の青春」のテーマで諏訪部さんは、自らの体験を振り返りました。

 一九四三年(二十一歳)に召集され、中国・河南省に渡り、入隊三カ月目に待っていたのは、教育という名の人体刺突訓練。三人の中国人が連れてこられ、四十人いた初年兵が三つのグループに分けられました。

 最初は誰もやろうとしませんでしたが、一人が「わあー」と叫んで銃剣で突き、その後は、めった刺しに…。時折言葉を詰まらせながら、声を振り絞るように当時の状況を語りました。

 基地県・神奈川で広がる「会」

 四五年、終戦を迎えた諏訪部さんは、旧ソ連のカザフスタンで強制労働と抑留の日々を過ごし、日本に戻ったのは四九年、二十七歳のときでした。最後に「戦前と違い、今は憲法を守り、戦争に反対する勢力がある。九条の会も広がっている。戦争は止められる」と力強く答えました。

 交流のなかで、愛川町の農業委員、萩原保雄さん(84)は、朝鮮戦争当時、米軍から食料調達を求められ、銃の前に立ちはだかるなど抵抗しましたが、強制供出のための小麦を買い出しに行った苦い思い出を紹介。「戦争は絶対にやってはならない」とのべました。

 元全農技術主幹の小川政則さん(73)は、教育基本法改悪、マスコミの右傾化などいまの状況を危ぐ。その一方で、横須賀、座間、相模原などに米軍基地がある神奈川で九条の会が広がっている意義を強調し、「戦争を止める大きな力になる」と激励しました。

 産直ならではの取り組みを確認

 申し合わせ事項を、九条の会事務局の森靖志さん(神奈川農畜産物供給センター)が読み上げ、「参加者の創意工夫で発展させたい。産直ならではの取り組みを広げよう」と確認し合いました。世話人に、金子さん、諏訪部さん、安西肇さん(神奈川農民連会長)の三人が選ばれました。

(新聞「農民」2007.1.15付)
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2007年1月

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