置賜農業高校飯豊分校危ぶまれる分校の存続山形県が09年度から「分校募集停止」の方針
山形県南西部の飯豊・吾妻・朝日連峰に囲まれた飯豊町に、木造校舎の小さな分校、置賜農業高校飯豊分校があります。二〇〇四年秋、農業を学ぶ全国の高校生にとって最大のイベント=農業クラブ全国大会で、飯豊分校の生徒たち八人は「食物アレルギーの理解を求めて〜アレルゲン除去ケーキの完成と地域交流〜」の研究発表で最優秀に輝きました。小さな分校が“日本一の快挙”を成し遂げたのです。こうして全校あげて教職員、生徒たちががんばっている時に、県は「分校の募集停止」を打ち出しました。
農業クラブ全国大会で最優秀賞に輝く(04年)実践にすぐれた分校なくさないでほしい農業実践に課題研究にがんばり成長する生徒たち2年連続定員の半数満たないと県の第五次教育振興計画は、「(二〇〇九年度から)分校については、原則募集を停止」と明記。ただし、「地域の実情や志願状況などに十分配慮」としています。飯豊分校の今年の入学者は定員四十人の半数にも満たなかったことから、長谷部浅和先生(59)は、「まだ廃校に向けた動きはないが、以前に『二年続けて入学者数が定員の半数に満たない場合は募集停止』との方針があったそうで、そういう事態になれば心配」と顔を曇らせます。一九九八年当時にも廃校の危機にさらされた飯豊分校。教職員をはじめ役場の職員やPTA、町会議員など広範囲な「飯豊分校を考える会」をつくり、存続運動に取り組んだ経験があります。そこで得た結論の一つは、「学区に一つは小規模校を置くべき。置賜学区には飯豊分校がもっともふさわしい」ということでした。
ひきこもりや不登校の生徒も長谷部先生は、「置賜地域の三市四町から、いま五十九人の生徒が通っています。なかには、中学時代にひきこもりやいじめにあって不登校だった生徒もいますが、農業実習や少人数学級の中で『自分を変えたい』という強い気持ちが生まれ、それをすべての教職員が支えているのです。ひとりでも飯豊分校に通いたいという子どもたちがいるかぎり、廃校にしてはならない」と、熱く語ります。農業クラブを指導する石川剛士先生(29)も、「課題研究への取り組みや発表を通じて生徒はすごく変わっていきます。五千人を前に全国大会で発表した女子生徒は、中学時代、心を閉ざして笑顔を見せたことがなかったそうですが、 『自分を表現できることができる飯豊分校で学べて本当によかった』と言ってくれました」 。 こうした例はけっしてめずらしくないそうです。 「一番の思い出は、半年間、全員で過ごした寮生活」と言う置賜農民連青年部で置賜農業高校本校OBの長沢祐一さん(31)は、「共同生活と農業実習のなかで、仲間は変わっていきます。こうした実践にすぐれた分校を廃止してほしくない」と、後輩たちのがんばりにエールを送っています。
ふたたび農業クラブ大会へ挑戦いま分校の生徒たちは、「二年前の先輩に続け!」と、保育園など地域と交流しながら研究と実践を重ね、農業クラブ大会に挑戦しています。今年は、「雑穀の普及と食物アレルギーの改善をめざして」をテーマに県大会で最優秀を得ましたが、東北大会では最優秀を逃し全国大会に進めませんでした。生徒たちは、「残念だけど、もっとがんばっている高校生がいる。またチャレンジしたい」と元気いっぱいです。校門を入ると、「みんなで語ろう世界の食料、みんなでつくろう日本の農業」の大きな看板が目を引きます。教職員と生徒たち、そして地域の支えで、再度“廃校の危機”を乗り切ってくれることを願わずにはいられません。
地域に“元気”与える農業高校全国農業教育研究会の会員で、農業高校を研究テーマにしている東洋大学・現代社会総合研究所の阿部英之助さん(30)農業高校は、農業や環境への関心の高まりの中で、農業の担い手作り、環境活動や街づくり、さらには新たな産業をおこすなど、地域に“元気”を与えています。 そのレベルの高さは社会的にも評価され、生徒たちの自信とモノを作る喜びにつながるなど、農業高校が持つ教育力と地域に果たす役割は大きいものがあります。 少子化や進路の多様化を背景に、農業高校は存続の危機ですが、食農教育や農業体験学習への出番も期待される中で、「農の教育力」を実践する農業高校の役割と存在価値は今後ますます注目されています。
(新聞「農民」2006.10.16付)
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[2006年10月]
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