村にある“お互い様”の精神
“地域のつながり”こそ
住民の生の声を原点に農政を厳しく批判する
民俗研究家 結城 登美雄さんに聞く
プロフィル ゆうきとみお 一九四五年旧満州生まれ。山形大学卒業。仙台で広告会社経営に携わった後、東北各地をフィールドワーク。九八年「NHK東北ふるさと賞」、二〇〇五年「芸術選奨芸術振興部門」賞受賞。宮城教育大学、宮城農業実践大学非常勤講師。著書に『山に暮らす海に生きる』
東北を中心に六百以上の村を歩き、その土地に住む人たちの生の声を原点にして農政を手厳しく批判する結城登美雄さん(61)。これからの食料、農業、地域づくりなどについて話を聞きました。
600以上の村を歩きお年寄りに
地域再生のヒントを問い続ける
直売所や加工をやる元気な人々
十年ほど前に、朝日新聞に「山に暮らす 海に生きる」という連載記事を書いたことがきっかけで農山漁村を歩き続けています。当時も今も過疎化が騒がれていますが、これについて都会で得られる情報は負のイメージばかりです。私自身、小学生時代を過ごした山形の村が廃村になり、村がなくなる寂しさを知っていたので、現場を訪ねてみたいと思いました。実際に現場に行くと、日々の営みを重ねている生身の人間がいて、その人たちから多くのことを学びました。
今の農政は、そうした具体的な営みをみんな抽象化してしまいます。そして「品目横断対策」が最たるものですが、四ヘクタール、二十ヘクタールといったものさしを当て、それ以下の農民を「お前は農民じゃない」と選別する。これは間違っていると思いますね。
私は、戦後農政で一番明るい話は、直売所や加工をやる女性たちの動きだと思っていて、それは農政の対象から切られた人たちが始めたことでした。農水省は一九九一年から三十アール以下の農家を「自給的農家」と呼び、当時、三百六十万戸のうちの八十五万戸、四分の一の農家を政策対象から外したのです。しかし今、その人たちが直売所や加工をやり、一番元気なのではないでしょうか。
3%の農民で97%の食料まかなう
今、四〇%という食料自給率の低さが問題になりますが、一億二千七百万人の日本人の食料は、たとえその四割であっても、二百八十万戸の農家によって支えられています。わずか三%の人間によって九七%の国民の食料がまかなわれている、このことこそ危機感をもって論じられるべきだと思います。
しかもその農家の七割は六十歳以上です。今、中古農機具フェアに行くと、高齢の農家が二時間も三時間も買うか買わないか迷っている姿に出くわします。買ったとしてあと何年農業できるか真剣に悩んでいるのです。
言うまでもなく、自給率は、農地を耕し、種まく人が増えなければ上がりません。だから私は、若い人たちに「自分の食べものは自分で作りなさい。それが生きていく上で安心の基礎になる」と言っています。種をまけば、お天道様が応えてくれます。時々、裏切られることもあるけれど、少なくとも農水省よりは裏切らないよ、と言っているんですよ。
一緒に耕し一緒に食べる姿こそ
もう一つは、食べる人が作る人を支援する仕組みをどうつくるかで、私が期待しているのは地産地消です。「お前さんが身近にいてくれると安心だよ」と非農家が農家に言える関係、それはやはり地域でつくられるのでしょう。ところが今、その地域がバラバラになっています。それをどう再生していくのかが、今日的な問題です。
地域というのは要するに家族の集まりです。では、家族とは何か。家族を意味する英語のファミリーという言葉の語源は、ファーマー(農民)と同じです。つまり、“一緒に耕し、一緒に食べる”というのが、家族の本来の意味です。
戦前までの日本は“一緒に耕し、一緒に食べる”家族が八割を占めました。ところが今、一世帯の平均人数は二・一六人で、六十五歳以上の老人単独世帯が三割を占め、さらに増えています。こうした時代のなかで、家族の台所や食卓を補う“地域の台所”“地域の食卓”“地域の茶の間”などが大事になってくると思います。
ヨーロッパでも農業国から工業国になる過程でものすごく苦しみました。そのなかで、あちこちにパブができました。パブというと風俗用語だと思っている人も多いけれど、もともとは「パブリック・ハウス」(みんなの家)という意味です。炭鉱や鉄工所、造船所などに勤め始めた男たちがグチを言い合い、お互いのつながりを確認する場がパブだったのです。
歴史に培われたコミュニティー
江戸時代の日本には、七万千三百の村がありました。それは今でも「おらほ」という言葉で表される、十数戸から数十戸の、長い歴史のなかで培われたコミュニティーの最小単位です。
今、過疎だ、廃村だと騒がれるようになったのは、たかだか三十年くらいの話です。かつての農村社会での村は、「お互い様」の精神で何百年も続いてきました。私はここに地域を再生するヒントがあると思っています。
住む地域がよくあるための条件
六百以上の村を回り、お年寄りから聞いた話をまとめると、自分の住む地域がよい地域であるための条件は七つ。(1)よい仕事の場がある(2)よい居住空間がある(3)よい文化がある(4)よい学びの場がある(5)よい仲間がいる(6)よい自然風土がある(7)よい行政がある――ということです。
かつての村人たちは、お互いの仕事や技を認め合い、食べものをはじめ道路や橋などすべてを自分たちで作り、暮らしていました。そして一緒に文化や祭りを楽しみ、自然に対して節度を持ち、よい仲間がいることがどれほどの財産かよく知っていました。これらを現代的に捉え直し、これからの百年でどういう社会を創るか、いま考えるときだと思っています。
(新聞「農民」2006.10.9付)
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