平和でこそ農林水産振興「新潟九条の会」が交流集会
結成5カ月、広がる賛同の輪新潟・農林水産「九条の会」は七月三十日、新潟市内で第一回交流集会を開き、代表よびかけ人の長崎明・元新潟大学学長が「平和でこそ食料・農業生産が行われる。農林水産九条の会の持つ意味は大きい」と開会あいさつしました。「われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう―生命・平和・農の心」のテーマで教育評論家の三上満さんが記念講演。宮沢賢治の著書を引用しながら、九条の精神にふれ、「日本の農地をフル活用し、九条を守ることが、最大の国際貢献だ」と訴えました。 西山文四郎・元県農協中央会総務部長が、今年三月に結成した「会」の経過報告を行い、「全国有数の農林水産県で会を結成した意義は大きい」と強調。会員数が当初の目標を上回って百人を超えたことを報告しました。 地域の取り組みでは、阿賀野市の「九条を守る阿賀野の会」の稲垣恵造事務局長が、会の一年の歩みを語り、元県議や宗教関係者らに賛同の輪が広がっていることを紹介。農民連の町田拡・県連会長が「食と農を守り、憲法を守る取り組みを一体で進めよう」と閉会あいさつしました。
新潟・津南町 感動呼んだ「お母さんのひろば」交流集会 戦時中の過酷な体験報告新潟・農林水産「九条の会」交流集会で、津南町「お母さんのひろば」編集部の報告が大きな感動を呼びました。津南町の「べんきょうするお母さんのひろば」は一九六一年創刊した四ページの冊子。津南に住むお母さんたちが、悩みや地域の問題を共通の課題として取り上げ、その解決について知恵を出し合い語り合う「ひろば」です。 二カ月に一回発行で、今年六月で二百九十一号を数えました。二十人ほどの編集委員が名を連ね、津南公民館が発行しています。 集会では、「戦争中の農村事情」を報告。戦争中、農村で銃後を守り、苦労した女性たちが語りました。高橋ヤスノさん(82)と福原ハナさん(86)は「当時は、化学肥料もなく、肥料は自家製。人糞(じんぷん)を手でつまんで灰に混ぜるなどしました。とくにたい肥運びは重労働でした」と振り返ります。 なかでも政府が農家からあらゆる物資を取り上げる「供出」は、農民にとって大きな負担になりました。「割り当てられたものはみんな出さなければならない。みんな『お上に取られた』と感じていました。食料がなくなり、ドングリやイモの茎、葉っぱ…、食べられるものはみんな食べました」(高橋さん)と怒りを隠しません。 「戦争のつらさ、苦しさを少しでもわかってもらえれば。再び戦争を起こしてはいけない」(高橋さん)、「子や孫に同じ思いをさせたくない」(福原さん)。二人の共通の思いです。 「ひろば」編集部は一九八八年、過酷な戦争を体験してきた女性たちが、当時の状況や悲痛な心情を書き記した『体験記 女たちの戦争―二度とあやまちをくり返さないために―』(写真〈写真はありません〉)を発刊。約百人に執筆してもらい、三百ページにも及ぶ力作です。 「発刊に寄せて」を寄稿した国際婦人教育振興会副会長の高橋ハナさんは「この体験記が、憲法九条を大切に考えようとする、きっかけになることを祈ります」と記しています。 十年後の九八年には、家族のきずなや、地域での生活を取り上げた『体験記 女たちのきずな―時代を越えて語る―』を発行しました。 二冊目の発行から十年目にあたる二年後には、「ひろば」も三百号に。それを記念して「ひろば」編集部は、三冊目の刊行に取り組み、原稿集めに奔走しています。 編集委員の石橋玲子さんは「新潟での交流集会では、聞いている人たちが目頭を熱くしているのが伝わってきました。時代が変わっても、思いはみな同じ。戦争を絶対に起こしてはならない。戦争の悲惨さを伝えていく責務を感じています」と話しています。
(新聞「農民」2006.8.14付)
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[2006年8月]
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