「農民」記事データベース20040112-618-07

講談は庶民の立場から世の不正、不合理を糾弾するもの


 「琴梅米」を作って12年

   「辻講釈」25年の 宝井 琴梅さん 

プロフィール 一九四一年、東京都墨田区生まれ。都立本所工業高校卒後、溶接工となるが、講談の魅力にとりつかれ、六六年に十二代目田辺南鶴師に入門。六八年、南鶴師の死亡により五代目宝井馬琴門下となり、七五年六月、真打ち昇進、「宝井琴梅」を襲名。辻講釈二十五年、農業講談で知られているが、自転車で全国を回る「出前講談」が話題になった。得意ネタ(読み物)には古典「寛永三馬術」「夜もすがら検行」「加賀騒動」、新作「農は国の基なり」「炎の画家ゴッホ」「ゲルニカ」などがある。著書に『おらあ日本のマンマが食いてえ』(家の光協会)。


 『おらあ日本のマンマが食いてえ』という著書と「農業講談」で知られる講談師、宝井琴梅さんに「琴梅米」を作り始めたきっかけ、「辻講釈」を始めて二十五年の話など、庶民の笑いと怒りを語る大衆演芸「講談」への思いをお聞きしました。


イラク支援に自衛隊じゃなく小泉さんの倅を出せば

 新聞「農民」読者の皆さん、新年おめでとうございます。

 でも、お米が不作でした。「めでたくない」農家の方がおられると思います。とくに青森の下北地方は作柄が最低の「53」でしたし、岩手や北海道でも軒並み「不良」と聞いています。うちのカミさん(琴桜)は秋田出身ですが「やや不良」だったそうです。

 もち米も不作でお餅も値上がりしましたが、外米のお餅や水っぽいお餅では食べた気がしません。焼くとプウーとふくらんで、引っ張るとツーと長く伸びるお餅じゃないと正月を迎えた気になりませんよね。

 農業講談をやりたくて

 私は今、新潟県大和町で十アールの田んぼを借りて、米作りをしているんです。魚沼産の「コシヒカリ」で「琴梅米」と名付け、もう八年になります。その前に茨城県の内原町で四年間、やはり「琴梅米」作りをしていましたから、合計十二年になります。

 どうして米作りを始めたのか? もちろん「おいしいご飯を食べたい」からでもあるんです。私は東京の下町で四人兄弟の二番目に生まれ、終戦の年に四歳でしたが、何しろ食糧難でしたから、「真っ白いご飯」を食べた記憶がないんですよ。「銀シャリ」はあこがれでした。

 でも、米作りの動機になったのは「農業講談を高座にかけたい」との思いからでした。戦後の食糧難を経験していますから、農業が国の基本だということが身にしみて分かっていました。ところが、他の講釈師は高座にかけていない。「よし俺がやってみよう」と決めた時に「本を読んだり人から聞いた程度の知識では、お客さんが共感できるような話ができない」と思ったんです。

 野良仕事はいい経験に

 自分自身が米作りとか野菜作りとか、額に汗して作る。そういう経験がないと、話をやっている時に力が入りません。茨城の松本さんという方に相談したら「一粒のお米を作るのが、どんなに大変なのか経験したいって? よし、うちは一切機械を使わないから、どうぞ」と。そこで猫の額ほどの田を借りて、田起こしから始めたんです。

 私は野良仕事などやったことがないから、ちょっと鍬を振るっただけで手に豆ができ、腰は痛くなる。東京に帰ってきても二〜三週間は、立つのが大変でした。田植え、草取り、稲刈りと茨城へ通いましたが、昔のお百姓さんは機械などなかったから、夏は暑い炎天下に腰をかがめて草取りをするわけですね。いい勉強になりました。

 米作る地で寄席もやり

 今、新潟の大和町では米作りと一緒に、月一回「梅桜(ばいおう)亭」という寄席をやっています。たまたま雪まつりに招かれまして、茨城で米作りをしているという話をしたところ、「生産調整で田んぼが余っているから、十アールでも二十アールでもお貸ししましょう」と。

 私は一度、田植え機を使い、コンバインで稲刈りをして、プロらしい米作りをしてみたいなという気持ちがあったものですから「渡りに船」でした。場所は上越新幹線の「浦佐」という駅で降りるんですが、運賃のほかに旅館やホテル代がかかるとなると大変。そこで元町長の大きな二階家が空いているのでお借りすることになりました。

 ところが一階だけで部屋数が五つも六つもある。カミさんと二人だけが泊まるのには広過ぎるので、襖を全部とっ払って板の間にし高座を作れば「寄席」にできる。そこで米作りをしながら月一回、講談をかけることになりました。もう八年になります。

 辻講釈こそ講談の原点

 日本の話芸というと講談、落語、浪曲、漫談、漫才などいろいろありますが、講談は五百年の歴史があります。発祥は武士が町の辻に立って、源平合戦などの軍談を語って聞かせたのが始まりとも言われていますね。いわば「辻講釈」です。

 私は二十五年前から、鎌倉の安国論寺(あんこくろんじ)の境内で辻講釈を続けています。日蓮聖人が「立正安国論」を書き上げたと言われるお寺です。お住職さんが私の中学時代の同級生だったので相談したところ、「好きな場所でやってみたら」と快諾してもらいましてね。日蓮さんも、「辻説法」では有名ですから(笑い)。

 その後に埼玉県川越市の蓮馨寺(れんけいじ)境内でも辻講釈を始めまして、これも二十二年になります。辻講釈というのは、ご存じのように通行人が足を止めてくれ、話が面白くないと投げ銭も入れてくれません。私は米の問題から食料自給率のこと、日本の農業政策の貧困、イラク問題などを、笑いと怒りをまじえながら講釈します。聴衆がドッと笑ってくれたら最高です。

 講談は落語以上に笑いがあり、涙があり、何よりも憤りを共感できるものなんです。しかし戦前は軍国主義によって「君に忠」とか「愛国」とか権力者の御用提灯を持つような講談をやらされていました。「説教」調のものが主流でした。

 今は「主権在民」の時代です。庶民の目線に立った講談が求められているんです。今回のイラク支援でも、自衛隊が行く、憲法で海外派遣や武力行使は禁じられているんではないのか、九条はどうなっているんだとかの疑問があります。

 万雷の拍手生き甲斐…

 小泉さんは自分が行くんではないから、いいですよ。私らに言わせたら「自分の倅(せがれ)を行かせればいい」と。いつでも権力者というのは命令だけするんで、命令されて戦地で殺し合いをしたり、一つしかない命をなくしたりするのは、庶民なんです。講談は庶民の立場から、世の不正、不合理を糾弾しなけれ

ばならないと思っています。そして万雷の拍手が上がることが、講釈師の生き甲斐なんです。

(聞き手)角張英吉
(写真) 塀内保江

(新聞「農民」2004.1.12付)
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2004年1月

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