炭やき農民のすすめ(12)杉浦銀治
炭焼きで地域おこし私の林業試験場(現・森林総合研究所)での研究は、炭一筋だった。その成果を本当の現場で実証できたらという思いがかなったのは、北海道上川郡の下川町である。下川町はかつて鉱山があり、人口は一万五千を数えたが、時代の流れでどんどん閉山し、現在は五千を切る状態になっている。私が、その小さな町の名前を知ったのは、木材炭化研究室長のときだった。下川町は戦後、カラマツをどんどん植え、それがようやく美林になりかかったときに、確か昭和五六年だと思うが、大雪で全部折られてしまった。町の人はたいへんなショックを受けて、何とかならないかと相談に来られたのである。 当時の、町長の原田四郎さん、町議会議長の故・平肇さん、下川町森林組合長の三津橋岩助さんと東京でお会いして、折れたカラマツを炭に焼き、新しい事業を始めることになった。大量生産が可能なトロッコ式の窯を六基、それにノコギリ屑、プレンナー屑、木片などを焼く平炉も六基設置した。 ところが当時、カラマツを炭にするというのは、とんでもない発想だった。昔から北海道の炭というのは、イタヤやエンジュ、ミズナラなどの堅木で、カラマツ炭など誰も相手にしない。 しかし、災害に遭った町の人たちは一生懸命だった。いろいろなアイデアが町民から寄せられ、カラマツ炭と、火付け用の樺皮(がんぴ、白樺の皮)、金網、マッチをセットにして缶詰にした「炭カン」というものも作り、たいへん注目を浴びた。 そういう町おこしが、林野庁にも認められ、町もそれを柱にしていった。日本だけでなく、海外からも、見学者が下川町を訪れている。 「国際炭やき協力会」は、海外でも地域おこしを支援している。インドネシア西カリマンタンに行く「アランツアー」は今年で八回目になった(十一月九〜十七日、アランはインドネシア語で炭)。いま参加者を募集している。 このとりくみが、小学五年の国語の教科書に載った「森を育てる炭作り」という岸本定吉先生の文章のなかでも紹介されている。かけがえのない地球の豊かな自然を守る炭やきの役割について、次代を担う子どもたちの理解が広がればうれしい。 (おわり)
(新聞「農民」2002.10.7付)
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[2002年10月]
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