「農民」記事データベース20020930-556-10

炭やき農民のすすめ(11)

杉浦銀治


広がる炭やきの輪

 砂浜に立ち並ぶクロマツは、「白砂青松」と言われ、日本人の原風景の一つである。これがいま、酸性雨やマツクイムシの被害を受け、手入れも行き届かなくなったことから、危機的状況にある。

 私はかつて、林業試験場(現・森林総合研究所)で土壌微生物の研究をしていた小川眞博士とともに、炭による海岸林の樹勢回復と松露(しょうろ)栽培の研究をした。もう二十年も前のことだ。松露は、戦前はなじみ深いが、戦後はほとんど生えなくなった。春先と晩秋に出る、大きいのはピンポン玉、小さいのは小指の頭くらいの珍味のキノコだ。

 千葉の東條海岸と茨城・鹿島の海岸で、松林のなかに深さ四十センチくらいの溝を掘り、ノコギリ屑や樹皮の炭を條播きした。三年後には、松の成長がよくなり、青葉も濃くなって、松露が発生するようになった。真っ黒な炭の層には、松露の白い菌糸が霜降りのように繁殖し、キノコの香りがしたのは、忘れられない思い出だ。

 いまこのとりくみが、静岡、愛知、秋田、鳥取などで進められている。鳥取海岸で八年間も試行錯誤で研究を続けている浜根良保さんとは、「日本のトリュフを次世代に残そう」と誓い合っている。

 老松が、炭の力でよみがえった事例もある。愛知県安城市の「雲龍の松」は樹齢三百五十年。枯死寸前だったが、雑炭の施用で驚くほど回復した。酸性雨にやられていた前橋・敷島公園の松も、炭の施用で元気を取り戻した。

 松炭は、日本刀の鍛錬によく使われる。火力が強く、灰分が少ない(一%以下)ので最適なのだ。昔は鮨飯を炊くのにも、松炭がよいとされた。

 いま、日本の松を守ろうという炭やき仲間の輪が広がりつつあるのは心強い。海岸林を守る活動に、第二の人生をかけようというボランティアの方々の便りが、私のもとに届くようになってきた。やがて日本各地で、松露狩りができる日が来るかもしれないと思うと、心が浮き立つ。

(新聞「農民」2002.9.30付)
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2002年9月

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