「農民」記事データベース20020923-555-07

農民連全国研究・交流集会 講演

『闘いの中での民衆の知恵と力、そして協同』――南部三閉伊一揆に学ぶ―下―

たざわこ芸術村・(財)民族芸術研究所所長 茶谷 十六(ちゃたに・じゅうろく)

関連/『闘いの中での民衆の知恵と力、そして協同』――南部三閉伊一揆に学ぶ―上―
   『闘いの中での民衆の知恵と力、そして協同』――南部三閉伊一揆に学ぶ―下―


 一揆の指導者となる不可欠の資質は「豊かな人間観と人間像」です。一揆の指導者たちには、非常に魅力的で人間的な人が多いんです。字の上手な人もいる。絵の上手な人もいる。芸達者な人もいる。大酒飲みもいる。武術が達者な人もいる。足が非常に速い人もいる。演説が得意な人もいる。いろんな人々が、さまざまの能力を発揮することが、一揆には必要なのです。

 三閉伊一揆の指導者たちはそれぞれ魅力的で、上は七十五歳から下は十九歳までいた。その代表的な一人が栗林村の三浦命助です。彼は、一揆が終わった数年後に、別件逮捕され、拷問、弾圧されてついに獄死します。彼は獄中記でこんなことを書いている。「人間と田畑を比ぶれば、人間は三千年に一度咲く、優曇華(うどんげ)なり。田畑は石川原のごとし。石川原を惜しみ優曇華を捨てるがごとし。右の通り大誤りをいたしべからじ候」と。もしも家運が困難になったら、財産である田畑、田んぼや畑を売ってもかまわない。しかし、命を捨ててはいかんぞ。人間は三千年に一度咲く優曇華だと。いい言葉でしょう。この人間賛歌こそが一番大事なんです。これが彼が命がけでたたかった原点です。

 そして、この三浦命助の言葉が深い意味を持っていることは、嘉永一揆の際、一揆の指導者だった田野畑村の多助が、勝利する数日前に「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のことなれば、今更命惜しみ申すべきや」と語っていることと合わせて考えるとよくわかります。仙台に数カ月間も滞在していると、一揆の指導者といえども不安がつのり、家族のもとに帰りたくなる。そこが正念場なんですね。そのときに多助が仲間を前にしていうんです。とにかく四十九カ条全部を通して、「一人も処分をしない」という証文を取り付けて、完全勝利の保障ができなければ、俺たちは帰ってはだめなんだ。一カ条でも半端にして帰ったら、前と同じように南部藩はご破算にする。せっかくここまできたのに、俺たちを送り出した家族たちや仲間たちのためにならないだけでなくて、「後世の物笑いになる」と。

 「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のこと」は特攻隊精神ではないのです。田野畑村多助がいったのは、たたかいの指導者としての誉れ、プライドです。「俺たちは人間なんだ。人間としての誇りのためにたたかう。そのための命なんだ。命を大事にするために命を捨てることもある」といったのです。この時に、「俺も命は惜しくない」と賛同した命助が、家族への遺言状に「田畑を叩き売っても、命を捨ててはならぬ。命を惜しめ」と書いているのです。

 今、三閉伊一揆から何を受け継ぐのか

 三閉伊一揆は、わが国における民主主義と自治の伝統の輝かしい金字塔だと思います。この一揆の教訓から学ぶ一番大きなものは、人間の生命の大切さ、心の豊かさです。今、このことが問われている時代ではないでしょうか。生産人民が、生産者の自覚と誇りを全国民と共有するときです。

 本当に安全な人々の命の肥やしになる食べ物を生産する。その仕事に誇りを持ってやる。それは農民だけのたたかいではなく、労働者も企業経営者も、学校の教師も母親たちも、全国民が共同する国民的な運動にしていく必要があるし、その可能性があると思います。

 みなさんが、食糧と農業をめぐる現在の日本と世界の状況をダイナミックにリアルに分析して、豊かで楽しく、ゆかいな希望にみちた、たたかいの展望を解明し、実践されることをご期待申し上げます。

(新聞「農民」2002.9.23付)
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2002年9月

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