農の考古学(17)稲作の歴史をたどる
古代の米の食べ方弥生時代の人たちは米をどのようにして食べていたのでしょうか。 三世紀の日本(倭)について記述した、中国の史書「魏志倭人伝」によると、倭人は、高坏(たかつき)に盛った食物を手づかみで食べていたとあります。 この記述から、米も炊くか、蒸すかして食べていたのだろうといわれています。一方、弥生時代は米が貴重品なので、雑穀類と混ぜて増量し、粥や雑炊にして食べていたのだろうという説も強いのです。 「弥生時代は米を蒸していた」という説に対して、佐原真氏(元国立歴史民俗博物館長)は、土器に残るススやコゲの痕跡をもとに「弥生人は米を炊いて食べていた」と指摘しました。 弥生時代の米の調理法については、最近、北陸学院短期大学の小林正史氏と岡山県古代吉備文化財センターの柳瀬昭彦氏が、弥生後期の上東(じょうとう)遺跡(岡山県・倉敷市)出土の甕に残るスス、コゲ、炭化米粒の付き方、吹きこぼれの様子、土器の使用回数などを分析した研究があります。 両氏によると、上東遺跡の甕は、炉に直に据え付けられ(直置き)、強火加熱から弱火加熱に移行していること、ふきこぼれや、土器に残る喫水線下のコゲの付き具合から、米が炊きあげられていた、としています。 そして、米を炊きあげる炊飯方法が普及していることから、弥生時代に炊飯専用の甕が広く存在していたと説明。「農民は、あまり米を食べられず粥や雑炊にして食べていた」という説とは異なり、弥生時代の米食の程度はかなり高かった、としています。 古墳時代になると、米を蒸して食べるようにもなります。五世紀中頃から、東日本でも炉が、竃(かまど)に変わり、蒸し器の甑(こしき)が大型化します。これらの資料から、米を炊くだけでなく、蒸す調理法が普及したことが分かるのです。 (つづく)
(新聞「農民」2002.8.12付)
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[2002年8月]
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