アジア民衆キャラバンに参加して住民の健康破壊をする国際稲作研入沢牧子〈下〉
次に会ったのは、六十六歳の痩せた男性のアルテミオ=マナラさん。 「一九七五年から八九年までIRRIの病理研究ラボで働き、伝染病などの菌の実験を手伝っていた。稲を束ねてその中に病原菌を入れたり、素手で細菌を扱った。雨の降っているときにも裸足、素手で農薬を撒く作業もやらされた。IRRIでは一年一回メディカルチェックを受けたが、診断の結果報告はなかった。九八年に年金も退職金もないまま解雇された。いまは子どもたちに生活の面倒を見てもらっているが、胃の調子が悪く、差し込んで痛い」と、健康破壊の状況を語ってくれました。
毒で神経侵されまた二週間前に若い息子を亡くしたばかりの父親・フランシス=クレヴァスさんは、こう語っています。「IRRIがやって来る前は、小作農はマンゴ、バナナ、米を大学の土地で自由に作れた。自給自足、有機栽培で作物を手に入れていた。一九六〇年代の後半、アジアの“緑の革命”が実施される中で、IRRIは大統領令で地主になった。大統領令では、小作人の権利を守るため土地や家屋の所有を認め、IRRIで雇用を保障するというものだったが、小作人にはそのように運用されていない。 七五年からIRRIの育種部門と総合部門で働いたが、九七年に人員削減で解雇された。ネズミを駆除する課で、ネズミに毒エサを撒いたり、昼にネズミの巣を探し、夜に毒ガスをマスクも着けずに素手で撒く仕事を十五年間もやってきた。その後、咳がひどくなり、神経がやられ、指のコントロールができない。夜寝ていても指が勝手に動いてしまう。 息子は育種部などで契約労働者として働いていた。亡くなる二週間前、試験場でBBライス(白葉枯れ病耐性遺伝子組み換え)の圃場から十メートルの所で農薬を大量に散布した後、急にお腹が痛くなり、吐き出した。その後二回ほど吐き、吐血した。十一月十五日には、とうとうマットに倒れて死んでしまった」
農民の死者が続出IRRIでは診断もしてくれないので、支援チームで調べていますが、同じような症状で三十代の若者が三人も死んでいると言います。私たちを案内してくれた支援チームから手渡された書類は、医療チームの協力で作った十枚近い死亡診断書でした。IRRIに働く小作農民の中からは、いまも多くの死者が続出し、さらに多数の農薬被害者を放置したまま、遺伝子組み換え稲の開発・研究が急ピッチに進められていることに、私は激しい怒りを覚えました。それと同時にこのIRRIの研究所には、日本からも相当額の農業予算が注ぎ込まれているという加害者責任を痛感し、私たちの運動をよりしっかりやっていかなければと強く思って帰国しました。 (おわり) (遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン運営委員)
(新聞「農民」2001.1.22・29付)
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[2001年1月]
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