「農民」記事データベース20000918-463-06

砂漠化の中国・黄土高原

第一回 深刻な砂漠化の進行

新連載 橋本紘二〈写真・文〉


 中国では、砂漠地と砂漠化した土地は国土の三四・六%に達している。そして、この二十年間に砂漠化した土地は、毎年平均で東京都の一・一倍に相当する二千四百六十二平方キロずつ拡大進行しており、砂漠化のテンポが速くなっているという(九九年一月、中国林業省発表)。砂漠化していくのは、森林の伐採、過剰なる開墾、ヒツジやヤギの過剰放牧などの人的要因が大きいと政府も認めている。

 その砂漠化の進行がとりわけ深刻なのは黄土高原である。

 黄土高原は中国の奥地にあるわけではなかった。北京からわずか二百八十キロ、大行山脈を越えると黄土高原の黄色い大地に出会う。山には木はなく、乾ききった荒涼たる大地が果てしなく広がっていた。

 その黄土は、山西省、陜西省、河南省、甘粛省、寧夏回族自治区にまたがっており、その面積は日本の一・七倍の六十三万平方キロもある。

 こんなところで人間は暮らしていけるのだろうか、植物は育つのだろうか、と一目見て唖然としたが、ここは人のいない砂漠地帯ではなく、およそ八千万人が暮らす「農業生産地」なのだ。

 黄土高原とは、何十万年とかかって西域のコビ砂漠やタクラマカン砂漠などから風で運ばれてきた黄砂が、大行山脈や呂梁山脈、秦嶺山脈などに遮られ、落下し、堆積したところ。黄土の厚さは百メートルから二百メートルもある。

 風で運ばれてきた砂なので粒子は細かく、二ミクロンから五十ミクロンほど。この黄土は乾燥するとカチンカチンに固まり、雨などの水分を含むとグリース状になる。微粒子の土なので空気や水の通りが悪いという、作物を育てるには至難な土だ。年間降雨量は四百ミリほどしかない半乾燥地なのである。

 だがこのわずかな雨も、春の種まきなどに水分が必要なときにはほとんど降らず、夏の一時期に集中して降る。しかも、その降り方はスコールのように激しく降るので、表土は流出し、深い侵食谷をつくっていく。もともと黄砂の痩せた土だが、農民たちは作物をつくるためにたゆまず土を肥やしてきた。そのやっと肥やした土が流れてしまうのである。表土が削られた畑は劣化し、生産は落ち、砂漠化が加速していくのだ。

 私はこの五年間、黄土高原にある山西省北部を中心に取材してきた。

「農業生産地」だが

 それにしても、黄土高原の村は貧しかった。「農業生産地」といっても、自分の家で食べる糧が取れるのがやっと、という。

 潅漑ができる盆地では小麦やトウモロコシがつくられていたが、天水にしか頼れない丘陵地になるとアワ、キビ、ジャガイモ、燕麦(エンバク)などしかつくれない。

 私は黄土高原の村で初めて燕麦を食べた。日本で燕麦は牛の牧草なのだが、これを粉に挽き、蒸して食べる。口の中でモゾモゾするが意外と美味しい。だが、消化が悪く、いつまでも腹が重いのにはまいった。黄土高原の村は小麦やキビ、ジャガイモが主食の食文化。「コメなんて、すぐ腹が減って働けない」と言うのだ。

 この地方には、次のような黄土高原を歌った民謡がある。

 山は近くにあるけれど
煮炊きに使う柴(しば)はなし
十の年を重ねれば
九年は日照りで
一年は大水……

 農民たちが昔からうたってきた歌だ。まさに今もこの通りで、痩せた大地で天水に頼るだけの過酷な暮らしだ。農業年収が五百元(約七千円)以下という「貧困地区指定」の村も多かった。

 この雨も、近年降雨パターンが変わってきている。

 地元気象台のデーターによると、春の雨は、九〇年代に入ってそれ以前の半分しか降らなくなった。代わりに晩夏から秋にかけての雨が増えている。作物の生育には役に立たない降り方になってきているのだ。地球の温暖化現象で世界の気象は変化しているが、その現象はここ黄土高原でも表れている。

川が枯れ、ダムに水なし

 地下水の問題も深刻だ。

 畑に侵食谷がいく筋も刻まれている渾源県南水頭という丘陵地の村では、この三、四年前から井戸の水が涸れてきていた。見に行くと、水は井戸の底にわずかしかなかった。村人たちはまだ夜が明けきらぬ四時に水を汲みに出る。一番早く井戸に着いた人だけが夜に溜まった水を汲み取れるが、次の人は二時間も三時間も水が溜まるまで待たなければ汲めない。

 隣の二嶺村では集落から一キロほど離れた侵食谷の底に二つの井戸があるが、ひとつの井戸は完全に涸れており、もうひとつの井戸にわずかに水があるだけだった。村の井戸では足りないので、四キロ離れた下の町に水を買いに行く毎日だ。

 山西省では半分以上の川が枯れ、二十七の大中型ダムと五百六十の小型ダムの水がなくなっているという。

 地元の新聞には「地下水は毎年二、三メートルずつ低下しており、二〇〇八年には大同市の水は完全に枯渇するだろう」という、節水を呼びかける記事が載っていた。


橋本紘二さん 1945年山形市の農家生まれ。79年度日本写真協会新人賞受賞。主にグラフ誌や農業雑誌に農村のルポルタージュを発表しています。著書多数。

(新聞「農民」2000.9.18付)
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2000年9月

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